<阪神15-0中日>◇2日◇京セラドーム大阪

 でかした!

 投壊の虎に救世主が誕生した。ドラフト6位岩崎優投手(22)が初登板初先発の中日戦で5回を3安打無失点。16安打15得点、先輩救援陣の無失点リレーに守られ、うれしいプロ初勝利だ。開幕4試合で37失点だったことはもう過去のこと。ルーキー左腕が悪い流れを断ち切った。さあ、ここから巻き返せ-。

 ドラ6位左腕は、満面の笑みで試合終了を迎えた。ベンチでは和田監督ら首脳陣と握手し、ナインとはハイタッチを交わした。初のお立ち台では「イ・ワ・ザ・キ!」とコールが起こる中、「ホッとした気持ちとうれしい気持ち。皆さんのおかげで勝てた試合だと思います」と声援に応えた。

 初登板初先発のマウンドも冷静さを失わなかった。0-0で迎えた3回。先頭に四球を許すと2死二、三塁の先制のピンチを招き、3番ルナを迎えた。

 岩崎

 怖さとかはなかったですけど、ボール先行のピッチングになっていたので、開き直りました。

 カウント3-1からの5球目。136キロの外角高めへの真っすぐで右飛に抑えた。ルーキーの粘投は打線に火を付け、16安打15得点の快勝。球団では07年小嶋以来8人目のルーキー初登板初勝利を手にした。

 やりたくてもやりたくてもできなかった野球。だからこそ、好きな野球は貫き通したい。岩崎家では小学2年生から6年生になるまで、学校の水泳部に入部するのが習わしだった。父久志さん(51)の方針で「肩を酷使して痛めないように」と、中学に入学するまで野球を禁止されていた。母恭子(やすこ)さん(50)は地元のソフトボールチーム・清水SCに所属する現役選手。幼い岩崎は母のソフトボールチームの球拾いでボールに触れた。

 中学でやっと念願の野球部に入部。野球を本格的に始めた。最初こそ小学校からやっている子に後れを取ったが、岩崎の野球の才能は光っていた。4番も務め打撃でも活躍。高校に入学すると当時、清水東の監督だった羽根田暢尚さんに「プロの世界に行きたい」と宣言。進学校で「プロ野球」を夢見る選手が少ない。そんな中、黙々と自分の夢を追い続けた。

 ウイニングボールは、大切に左ポケットにしまわれた。「両親にプレゼントしたいです」。優しく笑った左腕は、また一段とたくましく見えた。【宮崎えり子】

 ▼阪神岩崎が初登板初勝利。新人の初登板初勝利は3月29日の九里(広島)以来で、阪神では07年4月1日広島戦の小嶋達也以来7年ぶり。岩崎はドラフト6位で入団。ドラフト制後、6位以下の新人が初登板初勝利をマークしたのは、ドラフト外の小野和幸(西武)が81年10月4日ロッテ戦で先発勝利を挙げたケースを除くと、7位入団の日笠雅人(中日)が96年4月7日広島戦でリリーフで勝ったのに次いで2人目。<岩崎優(いわざき・すぐる)アラカルト>

 ◆生まれ

 1991年(平3)6月19日、静岡・静岡市。

 ◆球歴

 清水四中で軟式野球を始める。エースで4番だった清水東3年夏は静岡大会2回戦敗退。

 ◆実績

 東都大学2部リーグの国士舘大では4年間で通算10勝8敗。大学4年から先発も務めた。4年春には56回1/3を投げ60奪三振。

 ◆球種

 最速144キロの直球、スライダー、フォーク、大学4年で習得したシンカーやダルビッシュの握りを独学でまねたカーブを操る。

 ◆リラックス方法

 野球ゲーム、睡眠。

 ◆特技

 水泳。小学2年から6年まで水泳部。自由形、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライの全種の泳ぎが可能。得意は平泳ぎ。

 ◆座右の銘

 考えるな!

 感じろ!

 ◆血液型

 B。

 ◆サイズ

 184センチ、81キロ。左投げ左打ち。