キューバの4番が、いよいよ日本プロ野球に上陸する。今月中旬に巨人に加入するフレデリク・セペダ外野手(34)が来日を目前に単独インタビューに応じた。キューバ代表として長らく活躍してきた主砲は、政府の新たな制度の下で他国でプレーすることを認められた。満を持して海を越える男が、日本野球への思いや、新たな挑戦について語った。

 セペダのキューバにある自宅は、日本球界挑戦への喜びと希望にあふれている。ゲストルームのドア。新たなチームメートとなる巨人の選手の小さな顔写真が貼られている。長男フレデリクJrくん(5)が父の門出を祝うように飾った。

 セペダ

 地元チームのサンクティ・スピリッツからキューバ代表、そして日本でのプレーと次々と新しい経験ができて、とてもうれしく思っている。

 02年の代表入りから13年。日本は国際大会で相まみえる強敵だった。

 セペダ

 日本のプロ野球は投手も打線もよく訓練されていて、米メジャーに匹敵するくらい強い。レベルの高いところで野球をやれること、その野球を知ることは楽しみだ。(※)マツザカ、ダルビッシュ、イチロー、マエダ、タムラら印象に残っている選手を挙げればキリがないよ。巨人にも何度も対戦したことのあるタカハシ、アベらがいる。今度は彼らとチームメートになれて、うれしい。

 対戦経験が多いとはいえ、名前がよどみなく出てくる。頭の回転がいい。キューバ代表は大学の学士号を取得することが義務。セペダも地元ホセ・マルティ大学に通い、体育学の学士号を取得した。文武両道が求められる世界を生きてきた。野球でもキューバでは珍しい“両刀”だ。

 セペダ

 僕がスイッチヒッターになったのは6歳の時に父パブロに両方で打つ練習を教えられたからさ。本来は右利き。食事も字を書くのも右だけど、野球だけは左も使う。子供のころから慣れているから、右でも左でも打つのに問題はない。相手投手によって打席を変えるだけだ。

 昨年9月、キューバ政府は自国の選手が他国リーグでプレーすることを認めた。これまでは亡命という手段しかなかった。だが同制度利用の1号選手として、巨人と1年契約で契約金5000万円、年俸1億5000万円でサインした。

 セペダ

 今回の契約に見合うだけ、いや、それ以上と思われるように打撃であれ、守備であれ自分が持っている力の限りを出せるように努力したい。これまでもいつ、どんなチャンスを与えられても精いっぱいのことをやってきた。それで結果もついてきたし、日本でもかなりのことができるという自信を持っている。

 キューバ国内リーグでの実戦は4月までに終わり、現在は来日に向け、地元の球場で調整に励んでいる。申請中のビザが発給されれば、早ければ今月中旬にも日本の地に立つ。順調に調整を続ければ今月下旬から始まる交流戦でのデビューが濃厚だ。同郷のアンダーソンとの共闘も楽しみにしている。

 セペダ

 彼が首位打者に立っていたり、チームに貢献していることはよく知っている。元キューバ代表の選手が日本で活躍していることを誇りに思う。代表でともに戦ってきた仲間だから(外野争いの)ライバル意識などまったくない。お互い切磋琢磨(せっさたくま)して助け合い、チームを勝利に導くいい仕事をしたいんだ。

 セペダは11歳の時に世界少年野球大会出場で来日し、王貞治氏の指導を受けた。思い出とともにかつては「いつか王さんのいる東京のジャイアンツでプレーできたら最高だ」と願望を明かしていた。背番号は23。いよいよ夢がかなう。

 セペダ

 キューバではずっと「24」だったが、それはタカハシがつけている。それに一番近い番号をもらったが、いい番号だととても満足している。日本で、しかも歴史と伝統のある巨人軍でプレーできるチャンスを与えてもらったことに心から感謝している。日本のファンだけでなく、多くのキューバファンも注目していると思う。みんなの期待に応えられるプレーを見せたい。【取材構成=鉄矢多美子】

 ◆フレデリク・セペダ

 1980年4月8日、キューバ生まれ。11歳で世界少年野球(千葉)に参加。王貞治氏と写真を撮影した。97年から地元サンクティ・スピリッツに所属。02年代表入り。安定感ある打撃は定評があり、四球が多く選球眼のいい選手として中心的役割を果たした。04年アテネ五輪で金、08年北京五輪では銀メダルを獲得。06年第1回WBC決勝で藤田(ロッテ)から本塁打。09年第2回大会では松坂(現メッツ)、藤川(現カブス)から安打を放ち、大会通算12安打、3本塁打、打率5割でベストナイン外野手。13年第3回大会は4番DH。WBC通算20試合、打率4割4分9厘、6本塁打、23打点。日本戦通算打率4割。178センチ、93キロ。右投げ両打ち。

 (※)セペダは計13年の代表歴で、2度の五輪、3度のWBCなど日本と何度も対戦した。松坂(当時西武、レッドソックス)とは3戦で9打数2安打5三振。特に04年アテネ五輪1次リーグの対戦では4打席連続三振を喫した。ダルビッシュ(当時日本ハム)とは08年北京五輪で2打数1安打だった。多村(当時横浜)は06年WBCで強力な主軸打者としてキューバの前に立ちはだかった。27打数7安打と打率2割5分9厘だが、3本塁打9打点は日本勢トップ。決勝キューバ戦でも3打数1安打2打点だった。印象度の強さからキューバ代表選手から「タムラ」の名前が出ることが多い。