<ソフトバンク2-1オリックス>◇2日◇ヤフオクドーム

 苦しんで、苦しんで…。ソフトバンクがシーズン最終戦で3年ぶり、18度目(1リーグ時代を含む)のリーグ優勝をつかんだ。5連敗で迎え、勝てば優勝が決まる「10・2」オリックス戦を延長10回1死満塁、松田のサヨナラ打で制した。正念場の9月に投打とも崩れて8勝14敗1分けと大失速。オリックスの追走におびえ、もがきにもがいたが、最後は自力で決めた。秋山幸二監督(52)は3度目の胴上げに男泣き。Bクラスからの翌年Vは球団史上初になる。

 苦しい長旅は倒れ込むようにして終わった。左中間へ落ちた松田のサヨナラ打。勝てばVという144試合目でのミラクル決着に苦しんだだけの涙が落ちた。「マッチ(松田)が打ってくれて、楽しかったこと、苦しかったこと、みんな報われました」。真っ赤な目の内川の声が震えていた。

 ここ10試合は4連敗、5連敗で1勝9敗とスパートに失敗。弱小期の風物詩「失速の秋」を思い起こさせた。「監督交代や」のヤジが飛び、観客が試合中に帰路に就く場面も増えた。心ない一部ファンの“暴走”を警戒し、球団から選手にファン対応に留意するようおふれが出たほど。

 柳田を1番に上げる打線改造、早めの継投など、ベンチも選手も必死なのに負ける、負ける。松田がまばたきの間の一塁けん制死や信じられない走塁ミスもあり、大切な試合を接戦で落とした。摂津は最後の2試合で9回13失点と崩壊、五十嵐は60年ぶりの1イニング4押し出しと想定外の連続。チーム最多11勝の中田とスタンリッジもラスト登板で押し出し病で崩れた。

 何をしても好転しない。松田はドーム駐車場の位置を変え「白(星)をつけたい」と豆腐を意識して食べた。川村コーチはそり上げた頭に白星を願うホイップクリームを塗る試合前の儀式で緊張をほぐした。選手食堂に日本ハム戦での勝利を祈願するハムカツを並べるなど、誰もが苦しみ、必死だった。これが総額40億円超の補強で優勝候補とされたチームの姿だった。

 11年は2位に17・5ゲーム差のぶっちぎり連覇から日本一。松田は「当時は小久保さんたち先輩方に連れていってもらった優勝」と振り返った。失速中は足がすくんでマウンドの投手に声をかけられなかった。内川は「本当の意味での優勝争いは初めて。気持ち悪い」と胃をさすった。追われる緊張感にのまれて普段のプレーを失い、僅差で弱かった。懸命に積み重ねた最大27の貯金が見えなくしたのは、皮肉にも自分たちの出発点だった。

 オリックスに1・5差とされた9月24日の夜。選手だけで1時間近く思いをぶつけ合った。その中で長谷川の言葉が印象的だ。「僕たちは挑戦者。去年10月5日でシーズンを終えたむなしさを僕は忘れていない!」。そう昨年は4位。敗者だった。この昨年の首位打者は開幕戦の第1打席でユニホームが破れるほどの一塁ヘッドスライディングをかまし、ほえた。勝ち続ける間に出発点が薄れたが、もろさが出たことで最後に目が覚めた。この日は開始から挑戦者に必死、あきらめない心が宿った。

 へろへろでも首位を守り通した事実がある。目の前の勝利に執着すべき、1点の重みが増した試合で負け続けた事実もある。ただ、不格好でも「10・2」の歴史は消えない。首位の喜びより、首位のつらさを学んだことを奇貨として、黄金期は始まる。強さともろさを全員で知り、最後の最後で一皮むけた14年型ホークス。ビールかけでも消えない、誇りと悔しさが熾火(おきび)のように各自の胸でほのめいている。【押谷謙爾】

 ◆サヨナラ勝ちで優勝決定

 07年巨人以来でソフトバンクは初めて。68年阪急が最終戦の10月11日東京戦でサヨナラ勝ちし、その直後に2位南海が負けて優勝が決まった例があるが、チーム最終戦でサヨナラ勝ちして優勝決定(自力V)はプロ野球史上初めてだ。