東京6大学リーグ各校の4年生の進路が、ほぼ出そろった。春の首位打者の慶大・阿加多直樹捕手(4年=慶応)は、社会人野球の日本生命(大阪)に進む。ドラフト会議で指名漏れし、1度は野球から離れる決意を固めたが、不完全燃焼に終わった“引退試合”の未練から再びプレーを続ける道を選んだ。

 涙に暮れる仲間にまじり、全然泣けない自分がいた。10月28日、早慶2回戦。阿加多にとって野球人生の引退戦となるはずだった試合は、3-6で負けて、2連敗で終わった。7番捕手でスタメン出場も途中交代し、1打数無安打。「ふがいなさだけが残った。このままじゃ終われないと、思ったんです」。

 その3日前、ドラフト会議で指名漏れした。春は打率4割4分7厘で首位打者に輝き、プロを志したが、マークされた秋は2割3分4厘と低迷。「もし指名されなかったら、いい企業に入って稼いだ方がいい」。もう1年大学に残って就職浪人する。そう心に決めていた。

 ところが終わってみると、気分よく勇退などできなかった。だが、事前に誘いのあった社会人チームはすべて断ってしまった。すぐ行動に移した。「福富(裕遊撃手)が日生に行く縁で、監督を通じてお願いしました。可能性は低いけど、ダメならダメでいいや」。当たって砕けろの精神で自らを売り込んだ。

 練習を見てもらおうと、急きょ大阪へ行くと、休みのはずだった先方の監督、コーチがグラウンドに出てきてくれた。1人でノックを受け、打撃を見てもらった。採用の知らせを聞いたのは、3日後のこと。捕手ではなく外野手での“採用”だったが、「野球が続けられるなら」と、2年ぶりに外野用グラブを使って練習を続けている。

 すべてはドラフト会議から約1週間の出来事。阿加多の人生設計は数日で大きく変わった。「早慶戦で打って勝ってたら、サラリーマンになってたと思う。今は2年後のプロを目指したい。無理だなと思うところまで、とことんやりたい」。白球を追う日々は、まだまだ続く。【鎌田良美】

 ◆阿加多直樹(あがた・なおき)1990年(平2)11月12日、横浜市生まれ。小5で野球を始め、領家中では横浜旭BBCに所属。慶応では高3春夏に甲子園出場し、夏は5番左翼で8強。慶大では2年春に外野でリーグ戦デビュー。3年春から捕手。家族は両親と妹、東大1年の阿加多優樹内野手は弟。183センチ、82キロ。右投げ左打ち。