今では東北福祉大(仙台6大学)主力投手陣の石山泰稚だが、秋田・山王中時代は補欠の三塁手だった。「楽しくやってました」。それでも甲子園通算8度出場の秋田・金足農高に進学。中学の友人は驚いたという。

 さすがに名門校。練習量は半端ではない。「いちばん印象に残ってるのは田沢湖合宿ですね」。雪深い冬場、1週間以上も山にこもった。朝練習から胸ほどある新雪の中をランニングした。「雪がすごくて走れなかった。練習着はずぶぬれでした」と笑う。他にもスキー・クロスカントリー、部員を背負って雪山を登ったこともあった。

 苦しい練習を乗り切り精神的に強くなった。中学時は補欠だった石山が高2の秋にはエースに成長。そのことにも中学の友人は驚いた。

 福祉大入学後、新たな壁にぶつかった。2年時まで球速140キロ以上が出せなかった。悩みに悩みライバルの柳沢一樹投手(4年=長野・上田千曲)らに相談した。そして大学3年の春、初めて141キロを計測。その後も成長し続け現在では最速146キロ。まだまだ成長できる伸びしろがある石山は、既に社会人野球のヤマハに内定。それでも夢のプロへ、12球団OKで指名を待つ。【三須一紀】