東北の高校生左腕で唯一、プロ志望届を出した山形中央・横山雄哉(3年)は、2年時にエースとして同校を春夏連続で甲子園に導いた。今夏の県決勝で鶴岡東に敗れ、進路は社会人野球の強豪・住友金属鹿島(茨城・鹿嶋市)に決まっていた。だが幼い頃から憧れた舞台への思いを捨てきれず、内定保留の「プロ待ち」の状態で志望届を提出。「球団はどこでもよいのでプロに行きたい」と心境を語った。

 「中継ぎでも抑えでも何でもやります」。横山の正直な気持ちだった。住友金属鹿島からは、何度も「ぜひ来てほしい」と誘いを受け、安定した活躍も思い描けた。だが17歳が出した答えはプロへの挑戦だった。

 横山

 最悪をいえば(高校で野球を)やめようと思った。でも夏に引退して、中学の恩師とかにあいさつに言ったとき、みんな「続けた方が良い」と声をかけてくれた。応援してくれる人に恩返しの意味も込めて、やってみようと思った。

 屈託のない笑顔で思いを打ち明けた。ただし生半可な気持ちで志望届を出したわけではない。「球質を極めないと厳しいと思う。球速が遅くても打ち取れるような。3年は出られなくても、球を磨きたい」。ソフトバンク杉内の名を挙げながらビジョンを説明した。

 偉大なOBを超える野望も抱いている。山形中央には、同高卒で10年バンクーバー五輪スピードスケート男子500メートル銅メダリストの加藤条治(26=日本電産サンキョー)に「追いつき追い越せ」の意味を込めた「条治を超えろ ! 」の横断幕がある。重みのある言葉を横目に活躍をイメージし「『雄哉を超えろ ! 』ってどうですかね?

 パンチ弱いですかね。自分、名前が普通すぎるんで。でも(山形)中央の看板を背負えるように」。いつか必ずその名を全国にとどろかせてみせる。【湯浅知彦】

 ◆横山雄哉(よこやま・ゆうや)

 1994年(平6)2月21日、山形県中山町生まれ。長崎小2年から「中山ジュニア」で投手として野球を始め、中山中では「中山ベースボールクラブ」に所属。山形中央では2度甲子園出場も、いずれも初戦敗退。球種は最速141キロの直球、スライダー、カーブ、チェンジアップ。24日の都市対抗野球ではJR東日本東北の森内寿春(26=青森大)が完全試合を達成したが、横山もセンバツ直前に市川(兵庫)との練習試合で記録。家族は両親、兄。181センチ、77キロ。左投げ左打ち。血液型O。