日本ハムからドラフト1位指名された花巻東・大谷翔平投手(18)が9日、入団することを正式に表明した。岩手・奥州市内のホテルで、栗山英樹監督(51)ら球団側と対面して伝えた。メジャー挑戦を表明していたが「エース兼4番」での育成方針など、球団側の将来性を加味した提案に翻意。謝罪を繰り返しながらも、将来的なメジャーを目指すと宣言した。最速160キロ&高校通算56本塁打のスーパールーキーが誕生し、来季の日本球界の盛り上げに一役買う。
口を真一文字に結んでいた。神妙な表情は崩さなかった。大谷は、晴れの日にも笑顔を封印。表情を崩したのは、カメラマンの注文に応じて栗山監督と握手をした時だけだった。第一声に、18歳にはつらく、重い決断だったことが表れていた。「北海道日本ハムファイターズさんに入団させていただくことを、伝えさせていただきました。たくさんの方々にご迷惑をお掛けして、本当に申し訳なかったと思います。日本球界の方々や、遠くアメリカから来ていただいたメジャー球団の方々…。ご迷惑をかけて申し訳なかったと思っています」。指名を回避した国内他球団、奔走させた米球団への謝罪の言葉に、あふれていた。
揺れ動いた胸の内を、ようやく吐露できた。10月21日にメジャー1本へ進路を絞ったことを表明した。その4日後のドラフトで日本ハムから強行指名を受けたが、まだ思いは強かったという。「決断した日から、その時は自分もやっぱりアメリカで長くプレーするためには行った方がいいという考えがあった」と明かしたが、交渉を重ねていくうちに気持ちは動いていった。
若年期のメジャー挑戦の不安を示した30ページに及ぶ「大谷翔平君
夢への道しるべ」には「自分の知らないことがあった」と言い、画期的な「エース兼4番」の二刀流育成プランと、具体的に示されていくうちに心変わりした。「自分の中でどちら(投手と打者)でやりたいのか…。やりたい方は投手なんですけれども、どちらで、というのが自分の中ではっきりしていない。どちらでもやってみたい。すごくうれしかった」と言葉を選んだ。
野球を極めてから、メジャーへ-。その夢の過程を修正し、描き直していくうちに、日本ハム入団という結論が出た。最大の理解者である両親とも相談した上で、決意が固まった。「投手と打者を両方やるという選択肢は自分の考えにはなかった。最終的にはメジャーリーグに行ってみたいと思いますし、自分のあこがれている場所。それにいたるまでの道として、新しく、ファイターズさんから新しく道を教えてもらったという形」と翻意の理由を口にした。
スーパー球児は来季、「日本ハム大谷」としてスタートを切る。「(栗山監督に)誰にも歩いたことのない道を歩いて欲しいと言われました。自分もそういうふうな選手になれるように頑張っていきたい」。前人未到のパイオニアとして生き抜くことを宣言した。覚悟を決め、日本で野球人生をかける。【高山通史】<大谷翔平(おおたに・しょうへい)アラカルト>
◆生まれ
1994年(平6)7月5日、岩手県水沢市(現奥州市)出身。父徹さんが社会人野球(三菱重工横浜)の選手、母加代子さんはバドミントンで国体出場のスポーツ一家。
◆サイズ
193センチ、86キロ、足28・5センチ。
◆投打
右投げ左打ち。
◆50メートル走、遠投
6秒4、120メートル。
◆握力
左右とも60キロ。
◆野球開始
姉体小2から水沢リトル。
◆中学時代
水沢南中時代は一関シニアで全国大会出場。
◆高校ベンチ入り
09年センバツで準優勝した菊池(現西武)に憧れ花巻東に進学。1年春から4番・右翼。1年秋からエース。
◆甲子園
2年夏、帝京に初戦敗退も150キロを出す。3年春は初戦で大阪桐蔭・藤浪と投げ合って敗退。
◆最速
160キロ。今夏の岩手大会準決勝(岩手県営野球場、対一関学院)で6回に球場表示でマーク。
◆変化球
スライダー、カーブ、チェンジアップ、フォーク。
◆打撃
高校通算56本塁打。2年春の地区予選でサイクル安打、3年春の甲子園では大阪桐蔭・藤浪から本塁打。
◆好きな選手
ダルビッシュ有。
◆家族
両親と兄、姉。
◆野球以外のスポーツ
小2~5年まで水泳。
◆血液型
B型。
◆視力
左右とも2・0。
◆趣味
DVD鑑賞。