どうする協力体制。侍ジャパンが3大会ぶりのWBC優勝を果たした。しかも、3度目で初の全勝V。全てがうまくいった結果と思えてしまう。だが、実際には暗雲が垂れ込めた時もあった。その過程を振り返ることで、侍ジャパンに課されたテーマが見えてくる。

栗山監督の表情は硬かった。宮崎強化合宿終盤の2月26日、チームに動揺が走った。カブスのキャンプに参加中の鈴木が左脇腹に張りを訴えた-。指揮官は「全員、元気な状態で集まってくれると信じてます」と繰り返すだけだった。

結局、鈴木の辞退が発表されたのは同28日正午。ただ、日本野球機構(NPB)のリリースは、代替選手は「未定」としていた。一報から既に2日。侍ジャパン側は、いちるの望みを残しつつ、代わりの選手を呼ぶ準備を進めていた。にもかかわらず、ソフトバンク牧原大の追加招集が発表されたのは、さらに1日たった3月1日だった。

実は、最初は別のA選手に打診したが、所属球団に断られた。コンディショニング面で難しいというのが主な理由。それから、次の選手の選考へ入ったため“1日のズレ”が生じた。

代替選手は、本メンバー30人とは別に提出する20人の予備登録メンバーから選ぶ。NPBは、追加招集の可能性に同意を得た上で予備登録している。それでも、鈴木に代わる第1希望は通らなかった。そこに、代表活動の難しさがある。

A選手としても、当初から30人の本メンバーに選ばれていれば、侍ジャパン参加に支障はなかったはずだ。だが、30人に入らなかった時点で、シーズン開幕への準備が最優先となるのは当然。急な代表参加は、球団としてもためらわれた。「非協力的」と断じるのは酷だ。今回、牧原大は代表では控えの立場だったため、開幕までの実戦機会を減らした。分かった上で追加招集に応じた。同じ犠牲を全員に強いるのは難しい。

解決策として、追加招集に絶対に応じると約束した選手のみ、予備登録することは考えられる。ただ、来るかどうかも分からない、その時のために、開幕と侍ジャパンと両にらみで調整を続けるのはハードルが高い。今回、1次ラウンド終了後に栗林も離脱した。代わったオリックス山崎颯は、オープン戦でWBC使用球を用い、準備を進めていた。もともとは1次ラウンド終了時に別の投手と「指名投手枠」による交代が想定されていたから、そのような調整が可能となった。

米国との決勝戦前の公式会見で、栗山監督は「選ばれたら、みんなWBCに行くんだという、その空気だけは作りたかった」と言った。牧原大の決断は貴重だったし、今回の優勝で日本におけるWBCの価値は、さらに高まった。誰もがWBCに行きたいと思う空気は、もはや揺るぎない。ただ、開催時期が開幕直前である以上、故障者が出たときの対応を、どうするか。今後も同じ問題が付きまとう。【侍ジャパン取材班】