ビジネスマンにはリタイアはあっても引退という表現を使うことはあまりないだろう。

しかし、アスリートは毎年のようにその境界線を行き来する。昨今、アスリートのセカンドキャリアが問題視され、ドラマ化されるほどである。

僕はビジネスマンからJリーガーになり、そして現在は格闘家として挑戦を続けている。Jリーガーになる前は、通訳、指導者、スポーツディレクター、講師、選手マネジメント、さまざまな分野を経験してきたが引退というイメージを持ったことは一度もない。

Jリーガー時代は3年目を迎える契約更新の日にそのシーズン限りで身を引くことを自ら決意した。その一番の理由が「義務感」である。好きなことをして生きていきたい。そう思い「人生の後悔を取り返す」と位置付け、40歳で人生の冒険を始めた。自分に大好きなサッカーをひたすら思いっきり楽しんでみたかった。そう決意して年収1000万円を捨て、Jリーガーを目指し始めたのが39歳。たくさんのアンチが現れ、身内からも批判された。それでも僕は幸せだった。

この年になっても好きなことに夢中になり、必死になってサッカーボールを追いかけた。無我夢中で追いかけた。ただただサッカーがしたくて一生懸命だった。挑戦しているときは、どれだけ批判があっても何も気にならない。チームメートからも批判があったが、それすらどこ吹く風。周りからはメンタルが強いと言われたが、僕は全くそんなことを思っていない。何故ならメンタルのことも考えることなくただひたすら夢中になり、自分の人生に熱狂していたからだ。

問題はJリーガーになってからだった。僕は年俸をもらわない代わりに、観客席を20席ほしいとクラブに提案した。全40試合ほどある内のホームゲーム20試合で、その20席を毎回満員にすれば、それなりの収益をクラブにももたらすことができる。クラブからは「メンバー外の場合はどうするの?」と言われたが、メンバー外の時は一緒に座って生解説をすると伝えた。

あきれ顔の関係者を後目に、僕はとても興奮していたのを思い出す。メンバーに入れば、ドキドキ、ワクワクを与えることができる。メンバー外なら、一番近くで楽しさや面白さを提供できる。下手すればメンバー外の方が希少価値が高いかもしれない。そして年俸もクラウドファンディングで募ろうと思っていた。

しかし、クラブとの交渉がうまく前に進まず、プロにはなれたものの、ABIKOシートは開幕戦だけで終了。年俸クラウドファンディングはそもそもNGを食らった。

そこから僕の強みは消えていくことになる。純粋にJリーガーとして90分出場することや、ベンチに入ること、点を取ることに必死になり始めた。もちろんサッカー選手として大事なことなので否定はない。ただ僕みたいな選手はそこだけじゃない新たな選手像を築く必要性があった。

今のままではJリーグは面白くなくなる。そう思っていた僕ができることは、新しい道筋を立て、そこでサッカーを思いっきり楽しんでいる姿を見せたいと考えた。そこにはただ楽しむだけでなく、ちゃんと収益もあげ、自分の稼ぎも自分で手にすることが大事だと思っていた。

クラブから年俸をもらわないということは、ある種対等な関係を築ける。どうしてもお金をもらえば主従関係ができてしまい、そのうちサラリーマンのような顔色を伺うJリーガーがたくさん現れてしまう。それが今のJリーグが面白くない原因のひとつである。

そもそも、選手がクラブの収益に貢献しているかどうかは非常に不明だ。得点王、アシスト王、その他もろもろ、数字でハッキリ出るものに関してはそれが評価対象になるが、多くの選手がそんな数字は持てない。

だからこそ自分のファンを可視化する必要がある。サポーターとファンは違う。サポーターとは、クラブに貢献する選手を応援する人たち。ファンとは、自分に貢献する選手を応援する人たち。サッカー選手が勘違いしてはいけないのは、サポーターはあなたのファンではないと言うこと。その証拠に、選手の移籍と同時にサポーターも移籍することはほぼない。移籍してくれるサポーターはサポーターではなく、ファンなのだ。となると、自分1人で何人のファンを呼べているかがとても大事になる。

僕は現在格闘家だが、先日のRISEの試合では65人のファンが来てくれた。しかも無料チケットではなく全員しっかりとチケットを買って見に来てくれている。プロスポーツは興行だ。半分はエンタメでできている。だからその人の物語に感情移入させなければ、本当のプロフェッショナルとは呼べないのだ。

どれだけ技術があってうまくても、その人が何人ファンをスタンドに呼べているかで価値が変わってくる。そして、そこには「義務感」では絶対に人を呼べない構図がある。選手が義務感でプレーすれば、見ている人の心が揺さぶれない。格闘技で言えば、「負けたくない」という選手の戦いは見ていて全く面白くない。技術やスピードも大切だが、それ以上にその人が何のために戦っているのかがわかることが重要だ。

那須川天心選手と武尊選手の試合があれだけの興行になったのは、長い年月をかけた2人の物語が人をひきつけたのだ。300万円出しても見たい試合は技術だけの見せ合いなら絶対に成立しない。

僕らアスリートは好奇心を奪われ、将来の不安から安定を求めた瞬間に一切の価値を奪われる。これはもしかするとアスリートだけではなく、ビジネスマンも同じかもしれない。人は義務感で仕事をした瞬間、その見返りはお金になり、心を奪われる。こんな時代だからこそ好奇心を持って、自分のやりたいことを表明して人を巻き込んで、自分らしい人生を送っていくべきだと思う。

生き方は人それぞれだが、僕は人生の豊かさは決断の数で決まると思う。生まれてきて自分の名前すら決められないのだから、せめて自分の人生は自分で決めることが大事だ。自分らしく生きるためにも義務感を捨て、迷いを捨て、行動に移し、悩みながら必死に生きたいように生きること。僕は自らの人生を通してこれからも表現していきたいと思う。


◆安彦考真(あびこ・たかまさ)1978年(昭53)2月1日、神奈川県生まれ。高校3年時に単身ブラジルへ渡り、19歳で地元クラブとプロ契約を結んだが開幕直前のけがもあり、帰国。03年に引退するも17年夏に39歳で再びプロ入りを志し、18年3月に練習生を経てJ2水戸と40歳でプロ契約。出場機会を得られず19年にJ3YS横浜に移籍。同年開幕戦の鳥取戦に41歳1カ月9日で途中出場し、ジーコの持つJリーグ最年長初出場記録(40歳2カ月13日)を更新。20年限りで現役を引退し、格闘家転向を表明。同年12月には初の著書「おっさんJリーガーが年俸120円でも最高に幸福なわけ」(小学館)を出版。オンラインサロン「Team ABIKO」も開設。21年4月にアマチュア格闘技イベント「EXECUTIVE FIGHT 武士道」で格闘家デビューし、同大会4連勝中。22年2月16日にRISEでプロデビュー。6月24日のRISE159勝利し、プロ2連勝とした。175センチ、74キロ。