「朝倉未来とYA-MANが試合をする」と知ったのは記者会見の日だった。

控室に向かう途中に、別室に張り紙がしてあり、そこには「朝倉未来」の文字が。あ、本当にするんだ。そう思ったのがその日の率直な感情で、すごい興行になりそうだなとなんとなく実感をしていた。それがあの結末につながるとは、そのときは思ってもいなかったが…。

あの結末とは、YA-MANの大勝利もそうだが、僕自身の右肩脱臼TKO負けのことである。

みんなにはあるだろうか。第三者から「NO」を突きつけられているのに、じだんだを踏んで、駄々をこねる。泣きじゃくって、「まだできるって!」と叫んだことが。小さい頃、おもちゃを買って欲しくておもちゃ屋さんの前で、わめき泣き叫んだことがあったが、それ以来の、人目をはばからず泣きじゃくった大号泣だったのではないだろうか。

人生はうまくいかない。今回は本当に準備がうまくいって、計量も水抜きなしでしっかり6キロ落とし切った。体脂肪率も7%ジャスト。筋量を落とさず、体脂肪だけを落として、水分も無駄に削ることなく、内臓にも、身体にも負担をかけ過ぎない減量ができた。

その証拠に、計量前日の夜にしっかりご飯を食べれたこと、そして計量終わってすぐにおにぎりを2つも食べられたこと。多くの人が前日はほぼ固形物は食べないと聞くし、計量終了直後は水かゼリーなどで胃や腸に負担をかけないようにする。

しかし、僕は、前日もしっかり食べているので、胃や腸は通常の状態であった。動物性タンパク質も一切摂らずに減量をしていたので、胃や腸にかかる負担はほぼなかった。それと同時にエネルギーにもしっかりなっていたことで筋量を落とさず減量もできた。全てがパーフェクトに近い流れが作れていた。

とはいえ、メンタル的にはずっと順調かと言われたらそうだとは言えない。恐怖で寝れなくなった日が数日続いたり、興奮しすぎて寝付けない日もあった。3月に結婚して妻と子ども2人がいる4人家族にもなった。背負うものは大きくなり、プレッシャーの角度も増えた。

それでも、状態はよかった。今まで以上に過酷なな現状はあったと思うが、今まで以上に最高の出来上がりだった。それは食事面をコントロールしてくれた妻がいてくれたからだ、これは間違いない。計量も終わり、しっかり回復して、今までにないくらい良い状態で会場入りして、最高のセコンドメンバーと控室で顔を合わせた。

第7代RISEライト級王者の直樹選手、WBOインターコンチネンタル・ライト級チャンピオン中谷正義さん、元日本フェザー級7位でストレッチマジシャンの後藤俊光さん。このラインアップは、世界戦を戦えます。それくらい、素晴らしいメンバーに支えてもらえました。

後藤さんのストレッチから始まり、直樹選手のミット打ち、そして試合前ギリギリに中谷さんのパンチミットでメンタルとリズムを確認。あとはやるだけ。本当にそれだけの準備をしてきた。

開始早々の飛び膝は、決まりはしなかったが、僕の中にある入りの悪さを払拭(ふっしょく)してくれた。何度も何度も練習で繰り返しできたのは、TARGET巣鴨の菅原代表が付き合ってくれたおかげ。ステップのタイミングや、その時の呼吸などさまざまな角度でアドバイスをくれた。あのゴングが鳴るまでの間に、計り知れない努力と多くの人の支えがあった。

1Rでダウンを奪われたが、効いてはいなかったのですぐ立つこともできたし、そこに恐怖心のようなものは一切芽生えなかった。元々、判定がないということだったので、3Rかけて最後まで勝負をするというより、どんな印象になっても倒しにいくというのが戦略のひとつだったが、前日に判定ありに変更され、当日セコンド陣営と相談した結果、しっかり3R戦い切って倒しにいこう、が戦略となった。

その中での1R終了後のインターバル。セコンド陣が、いいよ!いいよ!と前向きな声をかけてくれた。静寂の中に、その声だけが僕の胸に届いた。そのおかげで2R目はより冷静に勝負に出れた。

前回のKENTA戦は、相手が嫌がっている表情を察知できずに試合終了を迎えてしまった。今回はそうならないよう、何度も何度も相手の表情を中心に映像分析をしていた。そのかいあってか、ここだ!というシーンが何度も僕の中で訪れた。実際相手がどんな状態だったかは僕にはわからないが、映像でみた表情がきたら一気にいくぞと決めていたので、それは本当にその通りに遂行できた。

そんな中、残り10秒を前にアクシデント。相手選手と右がクロスしたあと、相手に腕を掴まれ膝攻撃を受ける。RISEではワンキャッチワンアタックが有効なので、決して反則ではない。ただ、タイミングとオープンフィンガーグローブという割と新しいルールの中で、「起こりうるアクシデント」という視点で想像ができていなかったこともあり、僕の右肩は後方へ持っていかれる腕の中で外れた。

脱臼だ。リングに倒れ込んだ僕は、完全に外れたことを自覚していた。しかし、どうしても続けたかった。それは、ここから挽回できるくらい勢いが増していたタイミングであり、分析通りの流れにもなっていたから、どうしても戦い切りたかった。

それともうひとつ。僕は格闘家としてはまだまだ若輩者ではあるが、人間としてはそれなりの経験と修羅場を潜り、生き様を伝え続ける点においてはプロフェッショナルである。そんな自分が最後までその姿を見せられないのは、不完全燃焼というより、どこかで哀れで情けない姿であると思っていた。だから泣き叫んだ。

アンチからは「だったら立てよ」という言葉を浴びせられたが、それもそうだなと思いながらも、あれがあの時できる精いっぱいの抵抗だった。肩を脱臼するとすぐに立ち上がれない。それは身体が勝手に感じる違和感と危険信号を察知して動かないようにしてしまう。しかし、それでも熱は死んでない。だから「戻してくれ」「まだできるって」と泣きながら叫ぶ45歳の姿がリング上に現れたんだ。

不思議なくらい会場は静まり返り、実況も解説も言葉を一瞬失ったのだと思う。悔しくて、悔しくて言葉にならない日々が続いたが、今はそれを乗り越えあの時も含めたこの半年を自分なりにかみ砕いて消化しつつある。

ここでもう一度言っておくが、リングに倒れた時に肩が外れたのではなく、打ち合いになったあとに腕を持っていかれ、外れた。だからと言って前口選手には1ミリも非はない。あくまでもルールの中で起こったアクシデントである。いつか、最高の準備をしてまた前口選手と再戦できたらうれしいが、今はまずこの肩をしっかり治して、また外れてしまうのではないかという恐怖心を乗り越えることに全てをかけたいと思う。

それと同時に、今だからできることを、格闘技とサッカーの持つ可能性を使って社会へと伝える活動をしたい。僕は格闘家であるが、挑戦者であり、1人の社会人だ。自分が持っている可能性で1人でも多くの困っている人たちを救いたい。

「勇気」と言う言葉ではあまりにもチープだが、それを届けることでしか自分が戦っている意味は証明できない。45歳。年齢なんてただの数字だ。今という瞬間が一番若い。何事も始めるのに遅いことはない。僕らはいつだって、どんな時だって、何者にもなれる。

歩みを止めず、突き進む。挑戦者の条件は、どんなことがあっても前をみて、突き進めるかどうかだ。仲間と共に、また新たな可能性を提示する。それが俺のできる生きる道だ。

◆安彦考真(あびこ・たかまさ)1978年(昭53)2月1日、神奈川県生まれ。高校3年時に単身ブラジルへ渡り、19歳で地元クラブとプロ契約を結んだが開幕直前のけがもあり、帰国。03年に引退するも17年夏に39歳で再びプロ入りを志し、18年3月に練習生を経てJ2水戸と40歳でプロ契約。出場機会を得られず19年にJ3YS横浜に移籍。同年開幕戦の鳥取戦に41歳1カ月9日で途中出場し、ジーコの持つJリーグ最年長初出場記録(40歳2カ月13日)を更新。20年限りで現役を引退し、格闘家転向を表明。22年2月16日にRISEでプロデビュー。プロ通算2勝1分け2敗。175センチ

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「元年俸120円Jリーガー安彦考真のリアルアンサー」)