昭和の日本プロレス界で活躍した「不沈艦」ことスタン・ハンセン氏(70)がこのほど来日し、日刊スポーツのインタビューに応じた。引退後もプロレスへの熱い思いは変わらず。日本のファンや、プロレスを見たことのない人たちへメッセージを送った。【取材・構成=高場泉穂】

スタン・ハンセンお得意の「ウィ〜!」のパフォーマンス
スタン・ハンセンお得意の「ウィ〜!」のパフォーマンス

70歳になったハンセンさんが日本にやって来た。昭和プロレスのファンはもちろん、プロレスに詳しくない人でも“ダーン、ダダダーン”で始まる入場曲「サンライズ」は1度は耳にしたことがあるのではないだろうか。

11月15日に大田区総合体育館で行われたザ・デストロイヤーさん追悼興行のセレモニーに出席。会場に「サンライズ」が流れ、黒いテンガロンハットのハンセンさんが登場すると会場は大盛り上がり。リング上では親指、中指、薬指をつまむようにして天を指すお決まりのポーズも披露して大歓声を浴びた。01年の引退から18年がたった今も、その人気が衰えることはない。

ハンセンさんが活躍した70、80年代の日本はプロレスが大ブームを迎え、テレビではゴールデンタイムで中継されていた。今はプロレス人気が復活しているとはいえ、野球やサッカーなど他のメジャースポーツと比べると、選手や試合に対する世間の認知度は低い。そんな状況も踏まえて、長年日本のプロレスを見続けてきたハンセンさんに、あらためて日本のプロレスの魅力について尋ねた。

「日本のプロレスは他の国より、スピード感も、フィジカル的にも発展してきているんだ。世界の中でいつでも特別。選手たちのトレーニングの質は高いし、試合もタフ。アメリカ人レスラーの大半は、パワーがあっても日本でやっているようなスタミナがないから、日本で戦うのが難しい。これまでの長いプロレスの歴史の中で、外国から日本にきて成功したレスラーは15人ぐらいしかいないんじゃないか。それだけタフな場所なんだ」。

ザ・デストロイヤー氏の追悼セレモニーを終え、マスク姿の観客と握手をするスタン・ハンセン氏(撮影・加藤諒)
ザ・デストロイヤー氏の追悼セレモニーを終え、マスク姿の観客と握手をするスタン・ハンセン氏(撮影・加藤諒)

日本のプロレスのレベルの高さを熱弁するとともに、そのリングで27年間、外国人レスラーとしてトップを張り続けた誇りを言葉にじませた。

ジャイアント馬場、アントニオ猪木、ジャンボ鶴田、アンドレ・ザ・ジャイアント、天龍源一郎…。日本のプロレス史に名前を刻むトップレスラーと死闘を繰り広げてきた。

「鶴田はジャンピングニー。馬場はビッグフット…どの選手にも強い技、強いポイントがあった。それぞれ気をつけていたよ」と懐かしそうに振り返った。最後に日本のファンへのエールを求めると「みんな自分のスタイル、自分の強いところを見つけて、そこに注力すればいい」。ラリアットをひたすら磨き、その道を究めたハンセンさんだからこそ、その言葉は深く響く。

◆スタン・ハンセン 1949年8月29日、米テキサス州ノックスシティ生まれ。プロフットボール選手、教職を経て、73年にプロレスデビュー。75年に全日本プロレスで日本マット初登場。76年にWWWF(現WWE)のブルーノ・サンマルチノ戦で名をあげ、77年からは新日本参戦。81年に全日本に移籍し、01年に引退するまで27年間日本マットで活躍した。得意技ウエスタン・ラリアット。