WWEデビュー1年で1軍のスマックダウンに昇格した中邑真輔(37)の華々しい活躍の陰で、もう1人の日本人レスラーが苦闘していた。元ノアのKENTA改めイタミ・ヒデオ(34)だ。14年7月にWWE入りし、3年後の6月30日、7月1日に両国国技館で行われたWWE東京公演で、入団後初めてプロレスを披露した。

 その戦いは、凱旋(がいせん)とはほど遠かった。初日の6月30日は、第1試合でWWEトップスターのクリス・ジェリコとシングル戦で完敗。2日目は、第3試合に登場したが、対戦相手アモーレのタッグ仲間との仲間割れ抗争に巻き込まれ、勝敗のつかない無効試合となってしまった。15年の日本公演は、ケガで欠場。昨年12月に大阪で行われたNXT大会でも、故障が癒えず、直前で欠場が決まっていた。WWE入団後初めてとなる日本のファンへのお披露目だったが、活躍の場は与えられなかった。

 「3年前、WWEに入れたときに思い描いていたものとは全く違うものになってしまった」。6月30日の午前中のインタビューで、イタミは苦笑いしながら語った。デビュー直後の肩の負傷は、予想以上にダメージがあった。脱臼だったが、2回も手術した。日本で活躍した時代には、両膝の前十字じん帯断裂の大けがを負ったが「膝のケガの時はリハビリで完治できるという楽観的な気持ちでいられたが、今回は、まだ完全に治りきらない」と焦りをにじませた。

 昨年は首の負傷もあった。度重なるケガとともに、心に迷いも生じたという。入団直後にKENTAからイタミ・ヒデオとリングネームが変わった。日本時代に築いたKENTAというレスラー像を意識的に変えようとした。「新しいものを作っていかないといけないと思ったが、どう表現していいのか分からなくなった」という。

 悩みもがいている中で、試合をすると、米国のファンはいつも温かくイタミに歓声を送ってくれた。「日本もそうですが、米国でもプロレスファンは温かかった。彼らは長いスパンでボクのことを見てくれているんだと思ったら、名前が変わったから違うことをやるのではなく、自分の表現したいものをやっていけばいいと思えるようになった」と、心を切り替えられた。

 試合前、イタミは「たぶん緊張すると思いますよ。ボクは日本のプロレスファンと牛乳に大きくしてもらったんで」と話していた。勝利という結果での恩返しはできなかったが、両国を埋めたファンの温かい声援、拍手をイタミはその体で受け止めた。「正直悔しかった」という中邑の1軍昇格。ケガで不完全燃焼だったプロレスへの思い。東京公演が、悔しさをバネに新たなスタートを切るきっかけとなったことは間違いない。【桝田朗】