プロレスリング・ノアの第30代GHCヘビー級王者に拳王(32)が就いた。

 12月22日の後楽園大会メインで、エディ・エドワーズを激戦の末破った。

 試合後、リング上でマイクを握った拳王は「三沢光晴さんに関わりのないオレが、初めてGHCヘビー級のベルトを巻いた。ノアの新しい時代は、オレが引っ張る」と高らかに宣言した。

 拳王の勝利インタビューの後、ノアの内田雅之会長は「ノア・ザ・リボーンを最終戦で成し遂げた。その象徴が拳王。ジュニアの原田大輔と、団体を任せられる選手が出てきた。新しい世代が出てきたタイミングで、私はしばらく表舞台かた引き下がり、見守っていきたい」と話した。16年11月の事業譲渡に始まった団体の混乱期を、前面に出て引っ張ってきた内田会長も、団体の柱となる若手の台頭にようやく一安心といった表情だった。

 ノアは、団体を創設した故三沢光晴さんの死後、主力選手の度重なる離脱などで経営が低迷。16年11月の事業譲渡に加え、17年2月には前運営会社が破産手続きに入るなど、厳しい状態に陥った。内田会長は、それまで選手の貸し出しなどで支援を受けていた新日本プロレスとの関係を清算。自前の選手だけでの立て直しを図った。そんな中、1月にジュニアからヘビー級に転向した拳王の急成長に目をつけた。

 「拳王はもともと買っていた。日本拳法というしっかりしたバックボーンもあるし、姿勢が一貫していてぶれない。最初は杉浦(貴)と組んでやっていたが、杉浦がケガで長期離脱している間にしっかり独り立ちした」と内田会長は言う。7月にはゼロワンの火祭りに乗り込み、優勝こそ逃したが、優勝した世界ヘビー級王者田中将斗との激闘など、結果を残した。「火祭りあたりから勢いが止まらなくなった。そして、今回のベルト奪取は有言実行で取った」と内田会長は実績を評価した。

 「ノア・ザ・リボーン」という目標を掲げ、日本武道館大会開催の実現を訴えた内田会長。これに呼応するかのように拳王も「オレが日本武道館に連れて行く」とことあるごとに口にするようになった。「今後は、拳王のように三沢光晴を知らない世代と、三沢さんの遺志を受け継ぐ、丸藤や杉浦、さらに三沢さんは知らないが、そのDNAを受け継ぎたいと思う若手たちのイデオロギー闘争が生まれてくると思う」と、団体のさらなる活性化を期待する。

 三沢光晴さんが生きた時代の日本武道館大会は、プロレス界の黄金時代の象徴でもある。その日本武道館大会開催に向け「すぐにはできないが、横浜文化体育館、両国国技館と大きなハコでの開催をやっていきながら、20年東京五輪の頃には実現したい」と内田会長は計画を口にした。1月6日の後楽園大会で、拳王は清宮海斗と初防衛戦を行う。ノア新時代の幕開けだ。【プロレス担当=桝田朗】