記者になった40年前、よく言われたのは「サボるな。足を使え」だった。あの「ネタは足で稼げ」ということだ。

取材を終えると、デスクに公衆電話から連絡する。社に上がって記事を書くはずも、時間があったり、大した記事でないと「次はどこに行くんだ?」と突っ込まれた。

実際に足を使わないと、取材にならなかった。事が起こると、現場や関係者の元に飛んでいく。最初は相撲担当だったが、実際に電話では取材にならなかったものだ。

各部屋には親方用、力士用と電話が2台ある。取り次ぎを面倒くさがって、居留守を使われる。本人が出ても「出掛けてます」なんてことも。親方や関取に電話取材は失礼ともとられ、出てもまともに答えてくれなかった。

一方で関取の自宅の住所、電話番号入手も仕事だった。ある時に緊急も夜も遅いために、初めてある大関の自宅に電話した。「なんでこの番号を知ってるんだ?!」と怒鳴られただけだった。

記者は1度もないが、今やLINEで取材する時代になったと聞く。新聞に紹介すると喜ばれることも多かったが、選手自身が情報を発信する時代にもなった。コロナ禍で取材も限られたオンラインが多くなり、一層拍車をかけることになった気がする。

記者にはそのSNSやネットのチェックが当たり前になった。今年に入って日本人のボクシング世界戦2試合は、いずれも海外での開催だった。現地から陣営によって情報やコメントが提供されたが、他の情報集めも欠かせなかった。

岩佐はウズベキスタンに乗り込んでの統一戦だった。ツイッターをのぞくと最初にある写真に目がいった。フェラーリに乗ってVサインし、助手席に祖母高橋シヲノさんが座っていた。車好きで知られ、17年に世界王座を奪取すると、後援者から贈られた。その後に福島の祖母の自宅までドライブした話を思い出した。

インスタグラムには遺影が投稿されていた。シヲノさんが3月に94歳で亡くなっていた。昨年11月下旬にようやく再会も窓越しで、会話したのはインターホンを通じてだったという。

その後もガウン、トランクスに加え、金のネックレスも新調したと投稿していた。デビュー戦ファイトマネーで購入した愛用品。シヲノさんは孫7人も岩佐だけ独身で、生前に結婚祝儀を用意していたという。愛用品を売り、葬儀で渡された祝儀を加えて、形見として18金を購入したそうだ。

岩佐は「ウズベキスタンでも上から見てくれているはず」と、2本のベルト奪取を誓っていた。おばあちゃん子の思いは強く伝わってきたが、願いはかなわなかった。

帰国後の投稿で現地のコロナ陰性証明書の不備でホテルに3日間隔離され、現在も自宅での2週間自主隔離中という。「瞑想の時間。今後をゆっくり考えたい」と投稿していた。足から指を使う時代にいまだに慣れない記者にとっては、悪戦苦闘はまだまだ続きそうだ。【河合香】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)