“サバイバル”な人生、これからも何も怖くない。東京女子プロレスを立ち上げから支えてきた坂崎ユカが、12月6日、旗揚げとデビュー戦の地である東京・北沢タウンホールで卒業記念興行を行う。

卒業まで1週間を切っても「実感がない」と話す坂崎。来年からは、米団体AEWに専念する。AEWには19年の旗揚げから定期的に参戦してきた。会場に行っても試合があるかは分からないという。「最初はビックリした。日本ではすべて準備された環境にしかいなかったから」と戸惑った。

それでも厳しい環境に平然と飛び込んでいけるのが坂崎の真骨頂。幼いころは側溝のふたを開け、地上に出られるまでどこまでも突き進んでいく遊び? を1人でやっていたほど。タレント・イモトアヤコの「珍獣ハンター」にあこがれ、上京して事務所の門をたたいた。芸人としての生活はうまくいかず、その後は「闇の組織にいて疲れて、人間不信になりかけていた」という。そんな中、DDTの大会をたまたま目にし「これしかない」と一緒にいた辰巳リカの手を引いて、高木三四郎社長に直談判。プロレスラーの道をこじ開けた。

未経験者ばかりでリングもなかったという最初の1年は、アイドルと一緒のライブハウスからのスタートだった。アルバイトをしながら、ビラ配りをしながら、その日暮らしの毎日。手探りの状態が続くも「どん底から救ってもらったし、これまでの苦労を考えると何も苦じゃなかった」と笑顔を見せる。

5月に年内での卒業を発表したが、その後すぐに首のケガで約5カ月離脱してしまった。米国で1人で治療の日々。「こんなに休んだのは初めて。メンヘラになった」と何も気力が湧かず、精神が不安定な状態に陥った。体は元気なだけに「プロレスをやりたくなっちゃうから」と、東京女子の試合はなるべく見ないようにした。10月末の復帰から「卒業ロード」と題して、ハードスケジュールの中、全力で戦ってきた。受け身の練習ができていなかったため「臓器までダメージがきた」と今度は体が悲鳴を上げたが、1カ月間走り切り、まもなく“ゴール”を迎える。

残すは1日後楽園大会と6日の興行のみ。卒業発表から多くのファンのツイートに救われ、元気をもらった。「拾ってくれた高木社長、東京女子の甲田さん(事業部長)やコーチ、スタッフにもお礼を言いたい」。最後はいつも通りの坂崎スマイルで、東京女子から元気に巣立ち、再び生き残りをかけた戦いに立ち向かっていく。【松熊洋介】

◆坂崎ユカ(さかざき・ゆか) 12月27日、サウスタウン生まれ。13年12月、東京女子旗揚げ大会でプロレスデビュー。17年6月に初のプリプリ王者に輝く。その後19、22年にも戴冠し、計6度の防衛。瑞希とのタッグ「マジカルシュガーラビッツ」ではプリンセスタッグ王者に3度輝き、計12回の防衛を果たす。19年からAEWにも参戦。ネイリストの資格を持つ。趣味は漫画を読むこと。158センチ、A型。

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける」)

12月6日に東京女子プロレスを卒業し、来年からAEWに本格参戦する坂崎ユカ(撮影・松熊洋介)
12月6日に東京女子プロレスを卒業し、来年からAEWに本格参戦する坂崎ユカ(撮影・松熊洋介)
12月6日に東京女子プロレスを卒業する坂崎ユカ (撮影・松熊洋介)
12月6日に東京女子プロレスを卒業する坂崎ユカ (撮影・松熊洋介)