北海道新幹線が開業した。新青森駅の先に奥津軽いまべつ、木古内、新函館北斗の3駅が新設され、東京から最速4時間2分で青函トンネルを抜けられるようになった。夏巡業では力士たちも利用する予定で、幕下陥落が確実となった旭川市出身の十両旭大星は「関取で行きたいね」と奮起を誓っていた。

 角界では、北海道からの上京手段は飛行機が多かった。芽室町出身で78年春場所初土俵の芝田山親方(元横綱大乃国)は「YS(-11)で2時間半かけて行ったよ」と懐かしむ。横綱隆の里らが青森・浪岡町(当時)から夜行列車で上京した話は有名だが「それはもっと昔の話。(北海道からは)青函トンネルが開通(88年)する前は、函館港から連絡船に乗るしかない。青森に行って、そこから上野まで行くんだ」。歌手石川さゆりの名曲「津軽海峡・冬景色」になぞらえながら教えてくれた。

 主に北海道の経済活性化が見込まれる今回の事業だが、本州側にもメリットはある。青森・中泊町出身の宝富士は「(地元からは)今別が近い。東京まで来てもらいやすくなりますね」。北国の力士への声援が増える日も、近そうだ。【桑原亮】