横綱鶴竜(32=井筒)の九州場所(12日初日、福岡国際センター)休場が決まった。4場所連続の休場で、4横綱となって5場所目で、またも全員皆勤はならなかった。相撲ファンにとっては残念なニュースとなったが、何よりも鶴竜本人の無念の思いは想像に難くない。

 九州場所にかける思いの一端を、かいま見た場面があった。2日、福岡市の住吉神社で4横綱が土俵入りを披露した後だった。着替えて引き揚げ、車に乗り込む直前に声を掛けた。今場所から6年ぶりに相撲担当に戻ったことを報告すると「おおっ、復活したんだ」との第一声。その時、何ともいえない違和感を覚えたのは「復活」という言葉を選んだことだった。

 モンゴル出身とはいえ、稽古後には一般紙の政治や経済の記事を隅々まで熟読する姿を何度も見てきた。日本人以上にきれいな日本語を使う鶴竜を思い返すと、記者の担当替えは「復活」などという大それたものではなく「戻った」や、せいぜい「復帰」というもの。第一声の後にも、再度「復活」と使った。不意に口をついて出てきた言葉に「復活」にかける思いがにじみ出ていたように感じた。

 そもそも、どうやって角界入りすれば良いか分からず、15歳の時に相撲雑誌の編集部と相撲愛好会に計2通の手紙を送り、思いの丈を日本語で書き連ね、入門に至ったあこがれの世界。その中でも頂点の横綱にまで上り詰めながら、思うような相撲が取れない、ファンの期待を裏切っていることへの無念の思いは、容易に察することができる。

 前回の担当時代に私が最後に取材したのは、鶴竜が初の大関とりに挑んだ11年秋場所だった。その年に起きた東日本大震災の被災地を回った際には、横綱、大関を立てながらも、誰よりも積極的に子どもや高齢者とふれ合っていた姿は忘れられない。来年、満を持して「鶴竜復活」という見出しが躍る日が来ると、期待しているファンは少なくないはずだ。【高田文太】