元前頭貴ノ岩(28)が、付け人に暴力を振るって引退した。12月4日夜、翌朝から行われる福岡・行橋市に前泊した際の出来事だ。相撲ファンはもちろん、行橋市の人々も悲しませる出来事となった。

行橋。記者も含め、福岡県外出身だと、読み方さえ分からなかった人も多いかもしれないが、読み方は「ゆくはし」だ。博多から特急で約1時間。人口7万2283人(今年11月末現在)の、のどかな田園風景が広がる小さな町だ。

そんな町に大相撲の巡業がやってきたのは25年ぶり。前頭松鳳山の地元・築上町にほど近く、松鳳山も「行橋は自転車でよく来ていた」と懐かしみ、巡業当日は、ファンからサインを求められれば気さくに応じていた。

そんな中、朝稽古でひときわ大歓声を受けていたのが、地元の松鳳山ではなく、初場所で関脇に返り咲く玉鷲だった。玉鷲が土俵に上がると、2階席に陣取った地元の幼稚園児から「頑張れ~」の大合唱が起きた。玉鷲はモンゴル出身。何の縁もゆかりもないと思っていたが、稽古後の玉鷲に話を聞くと、実は「もう何年も前から、ここには来ているからね」と得意満面だった。

勧進元を務めた、一般社団法人行橋未来塾代表理事の江本満氏が、7年ほど前から片男波親方(元関脇玉春日)と交流があった縁で、その弟子の玉鷲も5年ほど前から毎年、行橋市の幼稚園などを訪れていた。江本氏は、25年前の巡業で力士らと交流した経験を、うれしそうに話す地元住民の話を聞くたびに「いつかまた、行橋で巡業を開きたい」と思い続けていた。

今年の開催に向けて、数年前から準備し、玉鷲らを招いて巡業招致への機運を高めた。そして、満を持して相撲協会に巡業を申し込んだ。今年の冬巡業は、同じ福岡県内だけでも直方市、久留米市、北九州市と3カ所も開催された。大企業や地方自治体が母体となって開催する多くのパターンとは異なり、地元企業や団体が中心。日本相撲協会の巡業部からは、集客などを心配されたが、江本氏は「家を売ってでも実現します」と成功を約束。当日は実際に満席で、札止めの大盛況だった。

近隣の市町から20軒を超える出店が並び、250人を超える親方衆や力士、行司、呼び出しら巡業参加者全員に、それぞれ500円分の食事券が配られた。江本氏は「食事券があることで、お相撲さんが出店に買いに来てくれたら、それだけ市民と触れ合う機会が増える。触れ合えば『またお相撲さんに会いたい』と思う子どもたちも増える。それが、次にまた行橋に巡業が来てほしいという思いにつながれば。自腹ですが、そのためなら食事券ぐらい安いものですよ」と笑った。

勧進元あいさつでも、江本氏は夢を実現させて、声を震わせていた。その姿を見て、多くのスタッフは涙を流して喜んだ。担当した先発の立田川親方(元小結豊真将)は「最初は『大丈夫かな』『お客さんは入るのかな』と思っていました。でも、思いの強さをひしひしと感じ、自分も引き込まれました。そして成功した。これこそが巡業のあるべき姿だと思いました。強い思いがあれば、多くの人が力になりたいと助けてくれる。感動しました」と話し、江本氏やスタッフらとがっちりと握手を交わしていた。玉鷲も「お客さんもいっぱい入って、みんな盛り上がってくれて本当によかった」と喜んだ。

そんな感動もつかの間、行橋市での巡業終了から約2時間30分後、貴ノ岩の暴力が相撲協会から発表された。さまざまな人に、後味の悪さを残すことになった。それを知るだけに、貴ノ岩が起こした問題は、一段と重いもののように感じている。【高田文太】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)