正直に言えば、高をくくっていた。「感染防止対策は十分している」「感染しそうな場所には行っていないし…」。だから鼻の奥に綿棒を突っ込まれ、経験したこともない違和感があろうと何てことはなかった。都内のクリニックを出て帰宅すがらも、検査を受けたのを忘れたぐらいだ。しかし人間なんて弱いものだ。4時間後、検査結果がスマホに通知され、PDF版の検査結果報告書を開く時のドキドキ感といったら、ありゃしない。結果は幸いにも陰性。だが、結果を知るまでは「当然だろう!」と胸を張っていた姿は影もない。ホッと胸をなで下ろす自分がいた。コロナ禍の折に何十万、何百万の人がこんな思いをしているのか…などと、妙に切なさが込み上げてくる。

つい先日、PCR検査を受けてきた。コロナの影響を受け、リモート取材が半年以上も続いている。どのスポーツの取材現場も似たりよったりだろう。直接、現場に行っての取材再開の第1歩として、日本相撲協会からの打診があった。それを受けての検査だ。他のプロスポーツ団体も取り組んでいる対応策であり、少しでもリスク軽減の安心感を担保できるならと異論などない。もちろん陰性だからといって、ただちに従前の大人数での対面取材が再開されるとは思っていない。徐々にでも安心感を持って距離感が縮まってくれれば…。私の最後の稽古場取材は、3月の春場所前までさかのぼる。はるか昔のことのように思える。そしてあの部屋から半年後、よもや大関が誕生するとは…。

特定の力士、部屋の取材記者ではない“遊軍”的立場の私がよく足を運ぶのは、東京や地方場所に関係なく時津風部屋だった。指令を受けるのは、たいがいキャップからの「○○が出稽古に来るから明日は時津風部屋に行ってください」の言葉。○○は白鵬や鶴竜であったり、高安、照ノ富士らで、取材本来の目的は彼らであった。そして出稽古組が必ずといっていいほど、稽古相手に指名するのが正代だった。

「また、いい稽古相手になっちゃったかな…」。昨年も一昨年もそうだった。稽古後、あの柔和な笑みを浮かべながら、そう口にする正代の姿が懐かしい。出稽古組からすれば、体を反らせ胸を出して踏み込んでくる腰高の力士は、稽古相手として絶好だ。何の躊躇(ちゅうちょ)もなく当たれ、押し込めばさほど粘ることなく俵を割る。私の記憶では両横綱など、10番取れば10番勝つし、15番取れば15番負けない。それは横綱審議委員会の稽古総見でも同じ。まさに「稽古場の恋人」状態だった。

その正代が下克上よろしく、大関昇進を果たした。角界には「場所相撲」という言葉がある。稽古場ではめっきり弱いのに、本場所の土俵では強さを発揮することを意味する。今までよもや、死んだふりをしていたわけではないだろう。稽古場で上位陣の当たりをまともに受け続け、自然と盤石な下半身が出来上がったと信じたい。そうして、コロナ禍にあって筋トレを積み重ね、強い体幹が出来上がったからこそ、アゴが上がろうが、胸を反らせようが、その胸で相手をはじき飛ばし、飛び込まれても懐の深さで翔猿戦のような逆転勝ちも収められた。白星を挙げる勝負時間も、今年初場所から6・6秒→6秒→6・1秒→5・1秒と速くなった。何か目覚めるものがあったのだろう。

あの胸を反らすような立ち合いは変えなければダメだ、アゴを上げるな、腰高を直せ-。期待の裏返しなのか、何かと周囲の声は、かまびすしい。ただ、このスタイルで大関の座を勝ち取った。正代なりの「形」を変えず貫くのも手だろう。よほど「これではダメだ」と本人の自覚が芽生えたときにモデルチェンジすればいい。

仮に横綱になれずに引退した時、土俵人生を振り返って正代は、どう思うだろう。「横綱になれなくて悔しかった」と言うか「大関になれて幸せな土俵人生だった」と笑うか。後者であっても、それはそれで正代らしくていいと思う。この逆境のコロナ禍で、大関の座を射止めたことに価値がある。【渡辺佳彦】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)