若隆景による新関脇優勝で幕を閉じた3月の春場所。千秋楽時点で優勝の可能性があったのは3人と盛り上がりを見せた春場所だったが、序盤戦から場所を引っ張ったのが平幕の高安(32=田子ノ浦)だった。

勝てば優勝が決まる結びの一番で関脇阿炎に負け、優勝決定戦では若隆景に土俵際で逆転負け。千秋楽の数日前までは「ついに初優勝か」と周囲もうずうずしていただけに、肩を落としたファンも多かったはず。

場所中に取材に応じた高安の元兄弟子の二所ノ関親方(元横綱稀勢の里)もその1人だろう。春場所14日目に高安の優勝に備えて取材したのだが、お蔵入りになってしまってはもったいないので、当時取材した話を当コラムに記そうと思う。

昨年8月に独立するまでの約16年間、二所ノ関親方は高安の苦楽を間近で見てきた。厳しい稽古や集団生活になじめず、何度も部屋から脱走して実家に逃げ帰った新弟子時代を思い返し「まさか関取になるとは思わなかった力士ですから。優勝するなんて夢にも思っていない」と笑った。

春場所では“新高安”を実感したという。ちょうど1年前。部屋付き親方として田子ノ浦部屋にいたころ、高安と三番稽古をしていても力強さや重さを感じなくなった。「あぁ、もう高安これで終わりかなって諦めた時もあった」という。その後に独立し、高安の姿を見るのは本場所だけに。昨年九州場所の時も印象は変わっていなかったが春場所は違った。実際に体重は大関時代の183キロまで増量。同親方は「肩から背中の張りがすごい。腰まわりもかなり太い。ハムストリングも復活した」と目を見張った。

加えて、経験の多さが高安の強みでもあった。「苦しいことやつらいことをたくさん味わってきた。今場所は集大成」と同親方。「高安の良さと今までやってきた我慢強い相撲が融合している。ここ何年も見てないような相撲になっている」と分析した。体を大きくしたことで本来の力強さが戻り、そこに培ってきた経験が加わり結果につながった。「考え方と技術と体力が融合されて新しい高安になってきた」と話す。

環境が変わったことも大きな要因となった。二所ノ関親方が独立し、高安の稽古相手は幕下以下の力士だけとなった。最近、高安の胸まわりの体毛が薄くなったのでは、と記者に問われると「胸を出しているんじゃないですか。『稽古しない力士は毛が増える』って先代(故鳴戸親方=元横綱隆の里)がよく言っていたから」と冗談交じりに話したが「非常に工夫しながら若い衆と稽古できているのかもしれない」と推測していた。

二所ノ関親方は取材当時、「優勝できる」「優勝して欲しい」といった直接的な言葉こそ使わなかったが、言葉の端々には、今場所こそは、という思いがにじみでていた。

兄弟子や周囲の大きな期待を背負った高安だったが、あと1歩届かなかった。それでもまだまだ視線は下に落とさない。

大相撲夏場所(5月8日初日、東京・両国国技館)の番付発表前の4月下旬、両国国技館の相撲教習所で行われた合同稽古に参加した際、高安は春場所を振り返り「優勝は出来なかったけど、たくさんの人から激励の言葉をいただいた。まだまだ頑張れるというのは示せたので、裏切らないように、もっと頑張っていきたいですね」と語った。大関経験者の実力あるベテランの視界には、まだ賜杯が色濃く映っている。【佐々木隆史】