日米マットで活躍したプロレスラーのマサ斎藤さんが14日午前1時5分に死去した。75歳だった。弟子の佐々木健介氏(51)が在籍する健介オフィスが16日、発表した。現役引退した99年ごろから発症した難病のパーキンソン病と闘い続けてきたが、最近になって容体が急変したという。87年にアントニオ猪木との「巌流島決戦」の死闘が名勝負として語り継がれる64年東京オリンピック(五輪)レスリング代表。20年東京五輪を目前にしてこの世を去った。

 巌流島決戦で死闘を演じたアントニオ猪木のコメント マサ斎藤選手の訃報に接し、心より哀悼の意を表します。思えば斎藤選手とは、東京プロレスからの長きにわたるご縁であり、巌流島での2人だけの決闘は忘れることが出来ません。私のライバルとして、五輪代表選手として、尊敬出来るレスラーでした。ご苦労さまでした。

 ◆巌流島の戦い 猪木が歴史に残る決闘「武蔵と小次郎の戦い」をヒントに巌流島での試合を発案。マサ斎藤が対戦に名乗りを上げ、87年10月4日に無観客、時間無制限、ルールなしのデスマッチで対戦した。試合は一進一退の攻防が続き、午後6時にはコーナーポストにかがり火が立てられた。フラフラになりながらも猪木が裸絞めで攻撃し、2時間5分14秒、TKO勝ちを収めた。絞め落とされた斎藤は担架で運ばれた。