新日本の“怨念坊主”飯塚高史(52)が、ヒールの美学を貫き無言でリングを去った。

飯塚は86年にデビューして以来、スリーパーを武器とする技巧派として活躍。だが、08年に当時組んでいた「友情タッグ」のパートナー天山を裏切り、ヒールに転向。以来約11年間、丸刈りと長いあごひげ姿で言葉を発しないまま、狂気の戦いを続けてきた。まだ正気だった頃に取材していた元新日本担当記者が、当時の飯塚の姿を振り返った。

担当時代の飯塚高史の印象は「寡黙で真面目。技術も高い。ただ、口べたで損している」だった。悪役転向前は整えた髪に口ひげ。二枚目だった。ただ、マイクアピールがうまい同僚たちに比べると目立てていなかった。

道場での練習には毎日必ず顔を出し、合同練習後も居残り練習していたのか、帰りは最後に近かった。50歳を過ぎても引き締まった肉体を見ると、今でもトレーニングを欠かしていないことが分かる。

真面目な性格はコメントにも反映し、威勢のよい言葉はほとんどなし。記者泣かせだった。ただ、タイトル戦線から外れていたことに「会社には『なぜだ』という気持ちはある」と悔しさをのぞかせたことが1度だけあった。不満が積み重なって悪役の道を選んだのだろうか。

飯塚の出身地・北海道室蘭大会前、タクシーの運転手が会場に着くまでずっと地元出身選手への愛情あふれる話をしてくれたことがあった。そのことを本人に伝えると「がんばらなきゃですね」とうれしそうな笑顔を見せたことが印象に残っている。実直な元の飯塚に戻れば、次の道も開けるはずだ。【来田岳彦】