一発のパンチですべてが変わるボクシング。選手、関係者が「あの選手の、あの試合の、あの一撃」をセレクトし、語ります。元WBC世界バンタム級王者薬師寺保栄氏(51=薬師寺ジム会長)の忘れられない一撃は「ラスベガス恐怖の一撃」。高校生の時に見た伝説の一戦、のちの5階級制覇王者トーマス・ハーンズ(米国)-ロベルト・デュラン(パナマ)で受けた衝撃を語った。(取材・構成=実藤健一)

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▼試合VTR 84年6月15日、WBC世界スーパーウエルター級タイトルマッチで王者ハーンズとWBA王者デュランが対戦した(WBAはタイトル戦を認めず王座剥奪)。「ヒットマン=殺し屋」の異名をとったハーンズと「石の拳」デュランの激突は世界中の注目を集めた。試合は序盤からハーンズが攻勢。残り約30秒、ハーンズが右の打ち下ろしでデュランのあごを打ち抜き、ダウンを奪う。立ち上がったところにラッシュで2度目のダウンもゴングに救われる。2回もハーンズがラッシュをかけ1分過ぎ、右ストレートでまたもあごを打ち抜かれたデュランが前のめりに崩れ落ちるKO負け。この右が「ラスベガス恐怖の一撃」と語られる。

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衝撃だったね。(享栄)高校でもうボクシングをやってたんだけど、震え上がるような右ストレートだった。いまだに忘れられないほどだよ。

あのデュランが、エッフェル塔が倒れるように、爆破されたビルが崩れ落ちるように、かな。前のめりに倒れた。今もたまに映像を見るけど、すごいシーンだったよね。

ハーンズはリーチが長くて、スピードもある。代名詞がフリッカージャブ(右構えなら左のガードを下げ腕をむちのようにしならせてスナップを利かせて打ち込む)だった。死角から強烈なのが飛んでくるから。デュランもそれで、相当にダメージを蓄積していたと思う。

リーチの長さと独特のしなやかさが必要で、日本人がまねるのは無理やね。自分もやろうとしたけど、高校のコーチに怒られた。「ガードを下げるな!」って。日本のボクシングはそれが鉄則だから。

自分の選手にも絶対教えませんよ。「ガードを下げるな!」って、同じことを言うやろね。

◆薬師寺保栄(やくしじ・やすえい)1968年(昭43)7月22日、大分・津久見市生まれ、愛知・小牧市育ち。中学3年からボクシングをはじめ、享栄高から松田ジムで87年7月にプロデビュー。91年12月にWBC世界バンタム級王座を獲得し94年12月、暫定王者辰吉丈一郎との世紀の一戦を判定で制する。95年7月、V5に失敗後、現役を引退。戦績は24勝(16KO)3敗1分け。07年に名古屋市内に薬師寺ジム開設。

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