一発のパンチですべてが変わるボクシング。選手、関係者が「あの選手の、あの試合の、あの一撃」をセレクトし、語ります。元WBC、WBA世界ミニマム級王者で、5人の世界王者を育てた大橋秀行氏(55=大橋ジム会長)は、沼田義明氏がロハス戦で放った「伝説の右アッパー」を挙げました。(取材・構成=奥山将志)

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▼試合VTR 正確なボクシング技術から「精密機械」と称されたWBC世界スーパーフェザー級王者沼田義明が、1970年9月27日、初防衛戦に臨んだ。相手は西城正三にフェザー級の王座を奪われ、2階級制覇を狙うラウル・ロハス(米国)。試合は、序盤から強打のロハスがペースをにぎった。4回にロハスの強烈な右ボディーを受け、沼田がダウン。その後もコーナーに詰められるシーンが続いたが、5回にドラマが待っていた。沼田はKOを狙って出てくるロハスの打ち疲れた隙を狙い、リング中央で、逆転を狙った右アッパーを一閃(いっせん)。あごにまともに入ると、ロハスはそのまま、顔面から前のめりに崩れ落ちた。衝撃的なKOで王座を守った一戦は、国内の年間最高試合にも選ばれた。

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試合当時、私は5歳で、当然リアルタイムの記憶はありません。初めて試合の映像を見たのは、私が現役を引退してからでした。沼田さんとテレビの解説でご一緒させていただいた縁もあり、「精密機械」と言われていた現役時代に興味を持ち、映像を見ると、本当にすごいパンチでした。

技術的には、左手のガードを下げた、やや変則的なスタイルですが、天性の運動神経と、感覚の鋭さを感じました。ヨネクラジムの松本清司トレーナーが、沼田さんのことを「あの人が本物の天才だ」と語っていたこともうなずけました。

ある日、沼田さんから「現役時代にサンドバッグなんて打ったことがない」という話を聞き、驚いたことも記憶に残っています。偉大な先輩には、常識は通用しないのでしょう。ロハス戦の右アッパーも、最近のボクシングのように小さく振り抜くのではなく、下から突き上げるような大振りなパンチ。アッパーは、打つ方もカウンターを受ける危険を伴いますが、そんな迷いは一切感じませんでした。

私が現役を引退し、指導者になったタイミングでこのパンチに出会ったことも、脳裏に焼き付いている要因の1つだと思います。技術の追求は大切ですが、ボクシングは、どれだけ劣勢であっても、一発で逆転が可能なスポーツだということ。そして、何があっても最後まで諦めてはいけないということ。私にとっては、そういう教えが詰まった一撃だったと思っています。

◆大橋秀行(おおはし・ひでゆき)1965年(昭40)3月8日、横浜生まれ。横浜高でインターハイ優勝。専大中退でヨネクラジム入りし、85年プロデビュー。86年に7戦目で世界挑戦はKO負け。90年に3度目の挑戦でWBC世界ミニマム級王座獲得。日本人の世界挑戦連敗を21で止める。92年にWBA世界同級王座獲得。94年大橋ジムを開設。日本プロボクシング協会会長なども歴任。

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