一発のパンチですべてが変わるボクシング。選手、関係者が「あの選手の、あの試合の、あの一撃」をセレクトし、語ります。元WBC世界スーパーフライ級王者徳山昌守氏(45)があげたのは「ソウルの一撃」。自身の防衛戦、敵地ソウルで前王者チョ・インジュを返り討ちにした右ストレート。試合前からさまざまなトラブルに見舞われた裏話とともに振り返る。(取材・構成=実藤健一)

    ◇    ◇    ◇

▼試合VTR 01年5月20日、徳山は敵地のソウルに乗り込み、ベルトを奪った相手のチョ・インジュとのリマッチで2度目の防衛戦に臨んだ。試合は立ち上がりから距離をとるチョ・インジュを徳山が追いかける展開。左ジャブでペースをつかみ、4回に右を当ててダメージを与える。そして5回45秒、右ストレートで失神KO勝ちした。朝鮮半島の南北問題が動いた時代で、朝鮮籍の徳山がソウルで行う世界戦とあり、現地の注目度を含めて試合前から異様な空気だった。

    ◇    ◇    ◇

自分にとって生涯一の一撃。ただ、驚くほど手ごたえはなかった。ゴルフのティーショットで、きっちりスイートスポットで捉えたら当たった感触がないって言うでしょ。手にガツンとくるときは、変なところに当たっている。あごをきれいに打ち抜くから、脳にダメージを与える。気持ちいいほど感触がなかった。

打った瞬間、相手が倒れる前にクルッと背を向けた。マンガのように。立ってくるかと思ったけど、ニュートラルコーナーで振り向いたら失神していた。

試合前からいろいろあった。(韓国で試合した)先輩から聞いてたんで警戒して、相手陣営が指定したホテルに泊まらず。出された食事も手をつけなかった。ホテルも特定されないよう複数の部屋を借りていたけど試合の前の日、夜中に電話。男性の声で「徳山選手が泊まってますか」って。「違います」と言って、電話線を抜いて寝た。試合当日も自分のコーナーの目線に強烈なライトが当たるようになっていたそう。関係者が気づいて抗議したけど、そのままなら目をやられていた。(※前日計量も予備計量でオーバーも、はかりの不具合を発見して修理し本計量はアンダーで一発クリア。ただ起きたすべての事象の原因は不明)。

倒さないと勝てない。ファイタースタイルで闘おうと思っていた。でも自分のボクシングが崩れると、考えを変えた。変な判定になったら、みんなの助けで再戦はできるだろうと。そう切り替えたのが、結果的にKOになったと思う。

36戦して、あんなパンチは1発だけ。あの感触、気持ちよさはもう一生、味わえないでしょう。

◆徳山昌守(とくやま・まさもり)1974年(昭49)9月17日、東京生まれ。在日朝鮮人3世で本名は洪昌守(ホン・チャンス)。94年9月プロデビュー。99年9月に東洋太平洋スーパーフライ級王座を獲得し、00年8月に世界初挑戦でWBC世界同級王座を獲得。8連続防衛も9度目の防衛戦で川嶋に1回TKO負けで陥落。05年7月の再戦で返り咲き、初防衛に成功後引退した。戦績は32勝(8KO)3敗1分け。

※チョ・インジュは■仁柱。■は十の下に日を二つ縦に並べ、十の縦棒が一つ目の日を貫く

【ボクシング、忘れられないあの一撃/まとめ】はこちら>>