ボクシングのWBA世界ミドル級スーパー王者村田諒太(帝拳)が12日、35歳の誕生日を迎えた。新型コロナウイルスの影響で、19年12月のスティーブン・バトラー(カナダ)との初防衛戦以降、リングから遠ざかっている。2度目の緊急事態宣言が発出され、未だに具体的に防衛戦が組めない状況にある村田が自らの誕生日に所属ジムでトレーニングを積み、現在の心境を口にした。

村田 35歳にもなると、誕生日を忘れてしまいますね。娘や周りに言われて思い出すような感じ。ただスポーツ選手なので、どうしても引退というものが一刻一刻と近づいている気がするので、普通の35歳の方よりも年齢は気にしているかなと思う。

34歳のうちに1試合もできなかった。コロナ禍で昨春の世界4階級制覇王者サウル・アルバレス(30=メキシコ)との統一戦は消滅した。6月、9月、12月と防衛戦が流れた。気がつけば、1年以上のブランクとなった。

村田 王者で良かったとは思う。王者でなかったら、1年間試合していないという状況で、次戦に向けた心と体の準備ができない。1年1カ月、試合ができていないとはいえ、王座を持っていれば、我慢すればタイトルマッチができるという「気持ち」があるのは大きい。21年は試合がしたい。率直に、試合がしたい。

昨年11月から外国人の練習パートナーとのスパーリングを続けている。週3回、主に6ラウンドのスパーリング。次戦が決まらない状況でも、常に試合できる準備だけは整えている。

村田 ありがたいことに練習パートナーが来てくれていて、集中力を切らさず、良いスパーリングもできている。試合ができる体を作るにはスパーリングしないと作っていけない。肉体的、精神的にも週3回のスパーリングが入っていると、しっかり気持ちも整えていかないといけなくなる。ちゃんと緊張感を保てて、練習ができているというのはやっぱり良い。総スパーリング数も100ラウンドはいっている。

試合が決まっていない今だからこそ、ボクシング技術や自らの可能性を広げる練習にもトライしているという。

村田 トライ・アンド・エラーを繰り返していい時期だと思っている。今はいろいろとトライして、エラーして、その中で修正して。最終的にシンプルなものになっていくけれど、もっと良くなりたいという気持ちが出てくる。やっぱり「これだな」と思うものがあると迷いがなくなるので。

12年ロンドン五輪で金メダル獲得後、翌13年にプロ転向した。7年以上が経過し、35歳になっても現役を続けている自分自身に不思議な感覚があるという。

村田 ロンドン五輪が終わった後に引退表明したのですが、その頃に東京五輪の招致が決まった。それを目指すという考えもあった中、東京大会の時は34歳。無理だなと思った。その僕がプロになって35歳までやっていることが不思議だなと。あっという間のようで、すごく長いようで。非常に不思議な感覚。これから先、今までよりもさらに早く感じると思う。将来を「どうする」「こうする」と深く考えず、1戦1戦、必勝のつもりでやりたい。

村田の実績ならばライセンス更新可能だが、通常のプロボクサー引退年齢は37歳となっている。

村田 欲を言えば、できるだけ長くやっていける方がいい。あと何戦とか決めるわけではなく。嫌でも引退しなければいけない時はくる。そこまでできるだけ長く、できるだけ良い試合をしていければ。自分を高められる限りやっていければ。あまりにも力が落ちてしまって続けるのも違うと思うので、自分の能力が続く限り、高められると思う限り、そういう状況でできるだけ長く続けたい。

現役を続けるには、負けるわけにはいかない。今年は4~5月あたりに2度目の防衛戦が計画されている。そして、その先には元3団体統一ミドル級王者で、現IBF同級王者のゲンナジー・ゴロフキン(38=カザフスタン)との王座統一戦を見据えている。

村田 スーパー王者にもなり、統一戦の状況はそろっている。あとは運が味方してくれること、そして僕が負けないこと。この状況がない限りは、作り上げることはできない。とにかく次の試合だと思っている。良い内容でなければ統一戦の話ではなくなる。全部が次の試合にかかっている。【取材・構成=藤中栄二】