元プロレスラーで参議院議員も務めたアントニオ猪木さんが1日午前7時40分、都内の自宅で心不全のため亡くなった。79歳だった。力道山にスカウトされ1960年(昭35)に日本プロレスでジャイアント馬場さん(故人)とともにデビュー。72年に新日本プロレスを旗揚げし、プロボクシング世界ヘビー級王者ムハマド・アリ(米国)との異種格闘技戦など数々の名勝負を繰り広げた。

◆馬場、猪木-ビル・ワット、ターザン・タイラー戦(67年10月31日、大阪府立体育会館)

馬場(左)とポーズを取る猪木=1967年12月
馬場(左)とポーズを取る猪木=1967年12月
68年6月、インターナショナルタッグを防衛したジャイアント馬場と猪木=1968年6月17日
68年6月、インターナショナルタッグを防衛したジャイアント馬場と猪木=1968年6月17日
ジャイアント馬場(左)に4の字固めをかけようとするザ・デストロイヤー(中央)を止めに入る猪木=1969年3月5日
ジャイアント馬場(左)に4の字固めをかけようとするザ・デストロイヤー(中央)を止めに入る猪木=1969年3月5日

ジャイアント馬場とのタッグでインターナショナル・タッグ王座に挑戦。2-1で勝利を収めて王座奪取に成功した。日本プロレスで一時代を築いた馬場と猪木のタッグ“BI砲”の初戴冠試合。71年12月までコンビは絶大な人気を博した。

◆坂口征二戦(74年4月26日、広島県立体育館)

シングル戦で猪木(手前)を逆エビ固めに持ち込む坂口征二=1973年5月
シングル戦で猪木(手前)を逆エビ固めに持ち込む坂口征二=1973年5月

新日本の“黄金コンビ”の初のシングル対決。新日本移籍前は日本プロレスのエースだった坂口との一戦は互いのプライドをかけた好試合に。坂口がアトミックドロップなど大技を繰り出せば、猪木は華麗なレスリングテクニックで応戦。30分で勝負がつかなかった。

◆馬場、猪木-タイガー・ジェット・シン、アブドラ・ザ・ブッチャー(79年8月26日、日本武道館)

プロレス夢のオールスター戦タッグマッチ時間無制限1本勝負でジャイアント馬場(右)と組み、アブドーラ・ザ・ブッチャー、タイガー・ジェット・シン組と戦った猪木=1979年8月26日
プロレス夢のオールスター戦タッグマッチ時間無制限1本勝負でジャイアント馬場(右)と組み、アブドーラ・ザ・ブッチャー、タイガー・ジェット・シン組と戦った猪木=1979年8月26日
夢のオールスター戦でタッグを組んで優勝し猪木(右端)とジャイアント馬場(左端)1979年8月26日
夢のオールスター戦でタッグを組んで優勝し猪木(右端)とジャイアント馬場(左端)1979年8月26日

オールスター戦で新日本の猪木と全日本の馬場が8年ぶりにタッグを結成。両団体のトップ外国人とタッグで対戦し、猪木がシンからフォールを奪った。試合後「次にリングで会うときは戦う時だ」と対戦アピールした猪木に、馬場も「よし、やろう」と応じた。

◆ラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇戦(82年11月4日、蔵前国技館)

ラッシャー木村(右)に4の字固めをかける猪木=1982年
ラッシャー木村(右)に4の字固めをかける猪木=1982年

猪木が1人で崩壊した国際プロレスの3選手を相手にした。寺西からギブアップ、浜口からフォールを奪ったが、最後に残った木村のパワーに圧倒され、片足をロープにかけたまま場外に出た上体を起こせず、リングアウト負けを喫した。

◆長州力戦(84年8月2日、蔵前国技館)

長州力(上)と戦う猪木=1984年4月19日 
長州力(上)と戦う猪木=1984年4月19日 

維新軍のリーダーに君臨する長州との一騎打ちは、新旧エースの意地がぶつかった名勝負になった。猪木の原爆固め、長州のサソリ固めと大技も応酬。最後は猪木がリキラリアットをかわしてグラウンドコブラで30分近く続いた激闘に決着をつけた。

◆ビッグバン・ベイダー戦(87年12月27日、両国国技館)

ビッグ・バン・ベイダー(左)に延髄斬りを見舞う猪木=1988年1月4日
ビッグ・バン・ベイダー(左)に延髄斬りを見舞う猪木=1988年1月4日
ビッグ・バン・ベイダー(左)に延髄斬りを見舞う猪木=1988年7月29日
ビッグ・バン・ベイダー(左)に延髄斬りを見舞う猪木=1988年7月29日

猪木は当初予定された長州力との一騎打ちに反則勝ちを収めた後、来場して対戦を迫ったベイダーの要求を受けたが、パワーで勝るベイダーに圧倒されて3分足らずでフォール負けした。試合後、想定外の事態とお粗末な内容に激怒したファンが、国技館の升席やイスを破壊するなど暴動が起きた。

◆天龍源一郎戦(94年1月4日、東京ドーム)

猪木(後方)の反則攻撃で失神する天龍源一郎=1994年1月4日
猪木(後方)の反則攻撃で失神する天龍源一郎=1994年1月4日
94年1月、新日本東京ドーム大会の特別試合で天龍源一郎(左)に延髄斬りを見舞う
94年1月、新日本東京ドーム大会の特別試合で天龍源一郎(左)に延髄斬りを見舞う
94年1月、新日本東京ドーム大会IWGPヘビー級選手権で猪木は天龍源一郎のパワーボムを食らう=1994年1月4日
94年1月、新日本東京ドーム大会IWGPヘビー級選手権で猪木は天龍源一郎のパワーボムを食らう=1994年1月4日
試合後、深々とおじぎする天龍源一郎(右)と握手をかわす猪木
試合後、深々とおじぎする天龍源一郎(右)と握手をかわす猪木

猪木がチョークスリーパーで天龍を失神させるなどすごみを見せつけた。最後は天龍のパワーボムでフォールを奪われたが、勝敗を抜きにした名勝負になった。この勝利で天龍は馬場と猪木の2人からフォールを奪った唯一の日本人レスラーとして名を挙げた。

◆グレート・ムタ戦(94年5月1日、福岡ドーム)

グレート・ムタ(上)からロープ越しに攻められる猪木=1994年5月1日
グレート・ムタ(上)からロープ越しに攻められる猪木=1994年5月1日

猪木は開始からムタの毒霧や場外戦に巻き込まれて大苦戦した。鉄柱攻撃で額からも流血したが、側転エルボーを間一髪かわして、チョークスリーパーからフォールを奪って逆転勝ち。全盛期は過ぎていたとはいえ、キャリアと勝負勘で勝利をもぎ取った。