佐山サトル(63)が、1年半ぶりにリングに上がる。23日にデビュー40周年を迎える初代タイガーマスクの記念大会「ストロングスタイルプロレス」(22日、後楽園ホール)に向け、佐山が、日刊スポーツの取材に応じた。「タイガーマスクの40年」と題して、3回にわたって連載する。第1回はタイガーマスク誕生秘話。

衝撃デビューから40年。あの初代タイガーマスクがリングに戻ってくる。40周年記念大会第1弾で、昨年9月以来となるリング登壇に意欲を見せる。「リングには上がれるがコーナーポストは無理かな」とジョーク交じりに笑顔を見せた。

15年に狭心症と診断されて心臓を手術。16年に復帰するも再び体調を崩し、リングからは離れていた。その後自力で歩行できるまでに回復し、昨年からは公の場にも登場。体調について「寒い時は少し悪いが暖かくなると大丈夫」とガッツポーズをつくってみせた。

81年4月23日。新日本プロレスの蔵前国技館大会でタイガーマスクはデビューした。虎の覆面をかぶった身長173センチの小柄な男は、リングに革命をもたらした。「4次元殺法」と呼ばれた華麗な空中技で、血なまぐさいマットを華やかな舞台へと変えた。

もともとタイガーマスクは1試合限定の予定だった。テレビ朝日で放送開始したアニメ「タイガーマスク2世」の番組宣伝を兼ねたタイアップ企画だった。その主役に佐山が抜てきされた。アントニオ猪木や当時営業部長だった新間寿氏の指名だった。佐山は、当時サミー・リーとして英国で絶大な人気を誇っていた。最初は「帰れないと断った」。すると新間氏から「猪木の顔をつぶさないでくれ」と言われ、1試合で英国に戻るつもりで帰国した。

「期待されている」と思って受け入れたが、違っていた。用意されたマスクとマントは、シーツのような薄っぺらな生地で一夜漬けで作製したような代物だった。ファンからのヤジも聞こえ、予想外の反応に戸惑った。

このデビュー戦は「伝説の一戦」といわれる。ダイナマイト・キッドとの9分29秒の激闘は、それほど衝撃的だった。見たこともない飛び技と、切れ味鋭い打撃。美しいフォームのソバットを繰り出し、ジャーマンスープレックス・ホールドで勝利した。試合後の会場は、静寂に包まれた。総立ちで拍手が起こっていた英国と違った。「ウケなかった。すぐに英国に帰ろう」とそそくさとリングから引き揚げた。実は佐山のファイトに会場が引き込まれていたからだった。周囲はたった1試合で激変した。ファンから次戦の問い合わせが殺到。新日本は2週間後に2戦目を組んだ。

タイガーマスクの時代は2年4カ月と短い。なのにプロレス史に強烈な印象を残した。それは空中殺法が華麗だったからではない。圧倒的に強かったから。シングル、タッグ合わせて通算387戦で敗戦はわずか11試合。しかもシングルマッチは165戦してダイナマイト・キッドに反則負けした1敗のみ。残るタッグでの10敗も、タッグパートナーがフォールされただけだ。初代タイガーマスクは1度もフォール負けしていない。

現在はプロレスラーと格闘家の育成に励む。83年の引退後には「18歳の時から考えていた」と格闘技「シューティング(現・修斗)」を作った。人格、平静心を鍛え、礼儀を重んじる佐山の魂を受け継ぐ選手たちがリングで躍動している。

佐山は新日本プロレスに誘ってくれた新間氏との縁を「数奇な人生」と振り返る。「タイガーマスクになれと言われたし、付き合ううちに考え方も一緒だと分かった。人間の本当の優しさを持っている人」。タイガーマスク人生を作り上げてくれた恩師と、温かく見守り続けるファンのために、リング上の元気な姿で恩返しする。(続く=第2回は「佐山サトルとアントニオ猪木」)【松熊洋介】

◆佐山サトル(さやま・さとる) 1957年(昭32)11月27日、山口県生まれ。小学校で格闘技に興味を持ち、高3時にはレスリングで国体出場。75年7月新日本プロレスに入門し、76年5月デビュー。山本小鉄、アントニオ猪木の付け人を務める。その後メキシコ遠征から帰国し、81年タイガーマスクとしてデビュー。83年8月に一時引退。84年スーパータイガーに改名し、UWFで現役復帰。85年に脱退、格闘技「シューティング」(後の修斗)を設立。94年新日本で4年ぶりにリング復帰。99年には掣圏真陰流を設立した。

<タイガーマスクアラカルト>

◆技 デビュー戦から毎試合のように高度な新技を披露した。有名な後ろ回し蹴りローリングソバット、バック宙しながら相手を蹴るサマーソルトキック、コーナーポストからの旋回式ボディープレス…。1試合で複数の新たな必殺技を決めることもあった。そのほとんどがオリジナル技だった。

◆歴代タイガーマスク 初代の佐山は83年に一時引退し、UWFでスーパータイガーに改名。84年8月に故・三沢光晴さんが2代目としてデビューし、90年まで務める。92年に金本浩二が3代目。佐山の教えを受けた4代目は、95年7月にデビューし、現在も新日本プロレスのリングに立つ。

◆ライバル 

ダイナマイト・キッド 「それまで対戦した中で一番強かった」と明かす。82年8月、WWFジュニアヘビー級王座をかけた蔵前国技館大会では、試合開始と同時にハイペースで技を応酬。リング上から場外へ投げ捨てるブレーンバスターで反撃し、サイドスープレックスの体勢から、受け身の取れない変形パイルドライバー。鼻血を出したキッドに、旋回式ボディープレスを浴びせ3カウントを奪った。

「暗闇の虎」ことブラックタイガー 82年5月に、相手の必殺技であるツームストン・パイルドライバーを逆に仕掛け、ラウディング・ボディープレスで勝利した。

メキシコ修業時代から一緒だった小林邦昭と数々の激闘を繰り広げた。82年10月の初対決からマスクを引き剥がされるなど、WWFジュニアヘビー級のベルトを懸けて何度も戦った。

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