「タイガーマスク」佐山サトル(63)には、プロレス道の魂が宿る。

23日にデビュー40周年を迎える初代タイガーマスクの記念大会「ストロングスタイルプロレス」(22日、後楽園ホール)に向け、佐山が日刊スポーツの取材に応じた。「タイガーマスクの40年」と題した連載第2回(全3回)は、佐山とアントニオ猪木。

佐山の原点は、アントニオ猪木(78)にあった。76年5月デビュー後、猪木の付き人を2年間務めた。そのプロレス道は「基本をしっかり身に付けた上で、リング上で表現する。ナチュラルにみせることができるのが昭和のプロレス」と明かす。観客は持っている食べ物を食べ忘れるほど引き込まれた。佐山自身もかつて、都内にある猪木酒場(昨年閉店)で観戦時、「最初はにらみ合ってばかりで、地味な展開のように思えたが、いつの間にか引き込まれて最後まで見てしまった。これが猪木さんの天才的なところ」と話すほどだ。

その魅力は、圧倒的な練習量と地道な基本の積み重ねがあった。試合がない時は常に練習。「寝技のスパーリングばかりしていた」。当時は練習公開され、ファンの厳しい目にさらされることもあった。本番でつまらない試合をするとヤジが飛んできた。練習での猪木は厳しかったという。「サボるといつもみんな怒られていた。自分は(練習が)結構ちゃんとやっていたのであまりなかったけど(笑い)」。闘魂注入のビンタは、受けたことはない。「目の前で(人が)張り手を受けている姿を見てきたので、やられたいとは思わないよ」と語った。

先輩たちも猪木イズムを継承して厳しかった。故・山本小鉄さんには礼儀を教わった。半年に1回来日する故・カール・ゴッチさんからは服装やマナーをしつけられた。「麺を食べる時、音を出すなと言われた。忠実に守ってきたから、今でも音を出してすすれない」と笑顔で振り返る。

猪木とは昨年行われた同窓会で対談の機会があったが、自身の体調が良くなかったため、実現しなかった。今年に入って入院している猪木の姿をユーチューブで見て「また会いたくなった」と心配な表情を見せた。ただ、「プロレスラーはみんな体が強い。猪木さんのことだから、つくっているかもしれないよ」と笑い飛ばした。

佐山には、猪木ら厳しい先輩たちに教わったプロレス道の魂が宿る。現在は礼儀と基本を重視し、表現できるレスラーを育てている。

プロレスから新たな世界へ。「タイガーマスク」として衝撃的なデビューから2年がたち、3年目に突入した83年。佐山は大きな決断を下す。(続く=第3回は格闘技の世界へ)【松熊洋介】

◆佐山サトル(さやま・さとる) 1957年(昭32)11月27日、山口県生まれ。小学校で格闘技に興味を持ち、高3時にはレスリングで国体出場。75年7月新日本プロレスに入門し、76年5月デビュー。山本小鉄、アントニオ猪木の付け人を務める。その後メキシコ遠征から帰国し、81年タイガーマスクとしてデビュー。83年8月に一時引退。84年スーパータイガーに改名し、UWFで現役復帰。85年に脱退、格闘技「シューティング」(後の修斗)を設立。94年新日本で4年ぶりにリング復帰。99年には掣圏真陰流を設立した。

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