女子プロレスを「名脇役」として支え続けた植松寿絵(38=WAVE)が、30日の後楽園大会で18年間のキャリアに幕を下ろす。現役生活が残り4日となった26日、ニッカン★バトルの取材に応じ、劣等生だったGAEA時代、自分の地位を確立したフリー時代、自分の経験を未来につなぐため所属したWAVEでの1年を語った。女子プロレス界を知り尽くした名選手の最後のメッセージだ。

 引退前の3日で4戦。植松らしく、最後も力の限り戦うことを選択した。

 植松

 体は痛いし、つらいけど、それも楽しみたい。今しか感じられないから。大変だけど、幸せです。

 30日のWAVE後楽園大会の引退試合は、名タッグ「植松☆輝」の盟友・輝優優(36)と組んで、愛弟子の渋谷シュウ(32)春日萌花(27)組と対戦する。最後の相手として物足りないという声も聞くが、あえて2人を指名した。

 植松

 2人が「若手」でいられる時間は限られている。本来はトップでいるべき選手。そこに気付いてほしい。春日は自分のことを「劣等生」というけど、私はもっと劣等生だったんだからね。

 20歳でGAEA

 JAPANの入団テストを受けて合格。クラッシュギャルズにあこがれた少女が夢をかなえた。しかし、道は険しかった。あこがれた長与千種からは厳しくられながら鍛えられた。ようやくたどりついたデビュー戦。長与から与えられたコスチュームは「緑」。夢見た主役の色ではなかった。

 植松

 戦隊ものでも、アイドルグループでも、脇役の色ですよね。受け入れるまで10年かかりましたよ。

 あこがれのアイドルから厳しい師匠に変わった長与を「父親のような存在」と言う。大工だった実の父と重なるからだ。

 植松

 父は曲がったことが大嫌いで、他人に迷惑をかける悪いことをすると、ひどく怒られました。頭からガラス窓に突っ込まれて血だらけになったこともありました。でも、それは自分が悪いから。だから、長与さんにもついて行けました。GAEA時代には一度もほめられませんでしたけどね。

 05年のGAEA解散とフリー転向は、植松にとって「親離れ」だった。自分の役回りを受け入れ、技巧派ヒールとして数々の団体のリングに立った。小さい体ながら常にケアを怠らず、長期欠場するようなけがは、ほぼなかった。次第に各団体の信頼を得て、フリーながら、年間130試合をこなすほどになった。

 植松

 10年かかって、脇役にだって「名」がつく人がいるんだって気付いた。GAEA時代の長与さんは怖くて、ほとんど話したことがなかった。だけど、長与さんの自主興行前に、出場選手選びの意見を求められたんです。自分の知っている選手の特徴を伝えました。そのとき初めて「植松とプロレスの話ができるなんて不思議だな」と言ってもらえたんです。

 劣等生がようやく師匠に認めてもらえた。団体解散後何年もたっていたが、何よりもうれしい「卒業証書」だった。

 師匠と同じように、植松にも引退を決断するときが来た。昨年3月、東日本大震災の被災地の惨状を見て、大地震の可能性を指摘される地元・静岡の家族を思った。病気がちな父と障害者の弟の世話を妹に任せてきた。「そろそろ自分が見るべきだと思った」と言う。

 植松

 自分には18年間支えてくれたファンに心の整理をしてもらう責任があった。そして、師匠や先輩たちに教わったことを受け継ぎたかった。1年間は長くはないけれど、最低限の結果を出せる期間。そこでWAVE入団とコーチを引き受けました。

 だから、引退試合の相手も渋谷と春日を選んだ。その考えを輝も受け入れてくれた。

 植松

 本当は、女子プロレスを私の時代にメジャーにできなかった悔いがある。でも、最後に渋谷、春日との試合で、将来の可能性を見せたい。

 自身の集大成ではなく、未来につなぐことが引退試合のテーマ。名脇役は最後まで、自分の役割を全うする。(取材・構成

 来田岳彦)<植松の引退ロード>

 ◆28日

 WAVE東京・浜町スタジオ大会(18時30分試合開始)

 植松-桜花由美

 ◆29日

 WAVE新木場1st

 RING大会(12時30分試合開始)

 植松-GAMI

 ◆同

 OZ大阪・IMPホール大会(17時30分試合開始)

 植松、永島千佳世組-カルロス天野、輝優優組

 ◆30日

 WAVE後楽園ホール大会(12時試合開始)

 植松、輝組-渋谷シュウ、春日萌花組

 ◆植松寿絵(うえまつ・としえ)1974年(昭49)4月14日、静岡・富士宮市出身。クラッシュギャルズの影響を受け、プロレスにのめり込む。高校卒業後、一時は就職したが、あこがれの長与千種がGAEA

 JAPANを設立し、選手募集しているのを知って受験し、入団。95年4月15日、永島千佳世戦でデビュー。05年のGAEA解散後はフリー転向。男女問わず、数多くの団体に出場し、最盛期は年間130試合をこなした。昨年4月にWAVE所属となり、若手のコーチを務めた。主な獲得タイトルは、WCW世界女子クルーザー級王座、WAVE認定タッグ王座、AAAWタッグ王座、JWP認定タッグ王座など。154センチ、58キロ。