<ノア:旗揚げ戦>◇00年8月5日◇東京・ディファ有明

 三沢光晴(38)が、自ら設立した新団体ノアの旗揚げ戦のリングで失神した。メーンの60分3本勝負で田上明(39)と組み小橋建太(33)秋山準(30)と対戦した三沢は1本目、秋山のフロントネックロックに試合開始からわずか2分で失神。その影響で2本目も落とし、会場内外に3100人を集めた注目の旗揚げ戦は波乱の幕開けとなった。

 

 ギブアップさえ、言えなかった。自分で旗揚げしたリングが、どこなのかさえ分からなくなっていた。自由と理想を求めて全日本を飛び出した三沢が、すべての情熱を注ぎ込んだ旗揚げ戦のメーン。レーザー光線が飛び、銀色の紙テープが舞い、300機以上のライトが照らし出したエメラルド色のリングで、三沢は試合開始直前に上がった演出の火柱の熱さも消えないうちに眠らされた。

 ゴングと同時に、秋山のタックルを受ける。バックを取られ、裸絞めを決められる。すぐに三沢の救出に入った田上は、小橋のラリアットを受け場外へ転落。孤立無援の中で小橋の裸絞め、脳天から投げ捨てられるスープレックスを浴び、さらに秋山のDDTからのフロントネックロックに捕らえられる。流れるような波状攻撃に、ピクリとも動かなくなった。慌ててレフェリーが試合を止めた時、時計は開始からわずか2分しか進んでいなかった。

 三沢も関係者も「記憶にない」という失神レフェリーストップ負け。2本目にも影響し、三沢は自ら立ち上げた旗揚げ戦のリングで、勝利を味わうことなく控室へと消えた。「ギブアップも言ってない。秋山のDDTでウッ、となった後は記憶がないよ」。旗揚げ戦黒星。3本勝負で連敗。2分で失神。首の痛みで試合後は上が向けなくなったほどの肉体的ダメージより、理想を実現した舞台での屈辱に、いつもより声を小さくしていた。

 社長業に忙殺されたのが敗戦の一因では、との見方には「この1カ月は自分でも充実してたと思う」と強い口調で反発した。だが、旗揚げ戦のパンフレットで、胸に赤い発疹(はっしん)のある三沢の写真が激務のあとを示していた。多忙で撮影の時間がないことから周囲は「写真は昔のものを使いましょうか」と進言した。だが三沢は「旗揚げなんだ。絶対ダメ」と、激務に疲弊する中、7月18日深夜に1人で写真撮影に臨んだ。「妥協は許したくない」という強い思いがあったからこそ、レフェリーに胸を押されて意識を取り戻した瞬間に左右を見回した三沢の姿は衝撃を増した。

 だが、これで終わる男ではない。旗揚げ戦も「60点」と採点した。「初めからうまくいくとも思ってない」とも言った。「やってきたことが間違ってなかった?

 振り返ることはないよ。正しかっただろう、じゃなくて正しいと思って動いてる」。三沢さえ安住できないリングにこそ、三沢の求める戦いはある。【永井孝昌】(2000年8月6日付紙面から)