メジャー3団体ヘビー級王者インタビューの最終回は、新日本のIWGPヘビー級王者中邑真輔(29)が登場。史上最年少の23歳9カ月で王座を獲得した男は、今や団体内にほぼ敵なしの状態で、防衛ロードを突っ走っている。そんな中邑も、20代最後の年を迎えて「やり残したことがあったのでは」と不安に駆られる。弱さから逃げたい思い-。それこそが、強さの原点だった。

 4日のドーム大会で、中邑は高山善広を破った。鳴り物入りでプロレス界に入った自分に、本気で鉄ついを食らわせ、試練を与えてくれた男。そして、脳梗塞(こうそく)という大病から復活し、命を賭して向かってくる威圧感に、恐怖心とあこがれを持っていた。

 中邑

 高山選手は、若手の時から自分の壁になってくれた。今の彼は1度、死地に立って、何とも表現できない強さを身に付けている。また倒れるリスクの高いリングに戻ってきたわけですよ。ただ強いだけではない。覚悟が見える。あの恐怖感には、あこがれさえ抱きますね。

 恐怖心は、中邑が掲げる究極の実力主義「ストロングスタイル」とは対極にある。一瞬でも高山に恐怖を抱いた裏には、少年時代に経験した強烈なコンプレックスがあった。

 中邑

 もともとは心の弱い子で、それがいやで格闘技を始めた。試合前に怖かったりすることがあっても、すごい精神力で乗り越えている。そうすれば自分も強くなれるのではないかと思った。尾崎豊の歌(卒業)じゃないけど、昔は自分がどれだけ強いか知りたかった。でもケンカをする度胸はない。そんなとき、友達ともみ合って簡単にコケたことがあった。自分がものすごく弱く感じた。ショックでしたね。高校ですぐレスリングを始めました。そこでタイマンの怖さを知り、自分の弱さをあらためて知りました。

 プロレスを本気で志したのは、恐怖心をぬぐい去るためであり、強い独り立ちの思いでもあった。

 中邑

 大学1年の時に父と死別したんですが、母が苦労しながら大学を出してくれた。3年のとき、周りが就職を考え始め、自分も考えてみた。「強くなれて、海外にも行けて、金も稼げて、有名になれて…」。その条件がすべて合致するのがプロレスラーだった。そして実際に、すべて手に入れることができた。

 デビューから7年。ビッグイベントで重要な役割を任され続け、今は3度目のIWGP王座に君臨する。期待をかけられながら、結果を出せたことが、弱い自分の背中を押す大きな支えになっている。

 中邑

 重圧は常にあったけど、そういうところに立たされないと発揮されない力だってある。逆に段階を踏んで、という人もいる。自分はある種、見込まれたり何らかの布石があって、実力以上のものを出してきたと思う。自分としては、「もう7年か」という焦りがある。20代最後の年に、やり残したことがあるんじゃないかと思う。もっといろんな行動を起こしても良かったんじゃないかと。

 やり残しがあるとすれば、うねりや反響を巻き起こすだけの存在感を手に入れることだろう。

 中邑

 「オレは強いです」なんて、いまだに言えないですよ。【取材、構成・藤中栄二、森本隆】<中邑に5つの質問>

 Q1

 休日の過ごし方

 遠くへドライブ。プチキャンプとか、温泉を目指して行くことも多いです。

 Q2

 尊敬する人

 人というより「この人のこの部分」という見方をします。岡本太郎のむごたらしさとか。

 Q3

 座右の銘

 マザー・テレサの「暗いと不平を言うよりも、進んで明かりをつけなさい」。自分の背中を押してくれる言葉が好きです。

 Q4

 子供のころの夢

 最初からプロレスラーでしたけど、それ以外にもいろいろありました。香港のスターとか、忍者とか。その中で現実的だったのがレスラーだった。

 Q5

 好きなテレビ番組

 ドキュメントは好きです。アニマルプラネットの「ミーアキャットの世界」なんてガッツリ見ちゃいました。

 ◆中邑真輔(なかむら・しんすけ)1980年(昭55)2月24日、京都府京丹後市生まれ。青学大ではレスリング・フリースタイルで活躍。4年時には全日本で4位に。卒業後の02年に新日本に入門、同年8月の安田忠夫戦でデビュー。03年12月にはIWGPヘビー級王者天山を破り、史上最年少の23歳9カ月で王座を獲得した。04年には棚橋と組み、IWGPタッグ王者に。09年9月にIWGPを奪回し、4度の防衛に成功。得意技はボマイェ、腕ひしぎ十字固め。188センチ、104キロ。