G1で3度優勝を誇る新日本プロレスの天山広吉(39)が、引退危機を乗り越えて1年3カ月ぶりにリングに立つ。復帰戦となる18日の同団体新人育成大会「NEVER」(東京・新木場1stリング)を前に、日刊スポーツの独占インタビューに応じた。昨年8月に右肩の故障などにより無期限の欠場発表。難病指定されている脊椎(せきつい)後縦靱帯(じんたい)骨化症と右肩の計2度手術を受けた。選手生命の危機に見舞われながらも、長いリハビリを経てまでプロレスラーに執着した理由と、現在の心境を語った。

 復帰まで3週間を切った天山に、安堵(あんど)の気持ちはない。穏やかな表情とは正反対の、重い決意の言葉を口にした。

 天山

 今回の復帰はレスラー人生最大の懸け。これで必死になれないなら、次はないと覚悟しています。

 昨年8月、違和感があった古傷の首に加え、試合で右肩を負傷した。待っていたのは2度の手術。特に首は重傷だった。診断は脊椎後縦靱帯骨化症。脊椎の靱帯が硬い骨になって神経を圧迫する原因不明の難病で、実母も3年前に同じ手術を受けていた。右肩の神経に支障をきたし、三沢トレーナーからは「引退の可能性もある」と指摘された。

 天山

 ひと言で表すなら「暗黒」でした。一筋の光も見えない。歯みがきも、顔を洗うこともできなかったんです。

 リハビリが思うように進まず、イライラは募った。自暴自棄になった時期もあった。

 天山

 家族との言い争いが多くなった。試合がないから、家にいると邪魔になってしまって。「自分の存在ごとなくなってしまえばいい」とも思いました。

 目標にしていた8月のG1での復帰を断念した。そんなとき、団体顧問の山本小鉄さんが急死。恩師の教えを思い出し、絶望のふちからはい上がった。

 天山

 道場で顔を合わせるたび、「いつ復帰できそう?」と心配してくれました。「1つか2つ、新技を考えて復帰しろよ」とも言ってくれた。復帰を楽しみにしてくれていた。天国から見守って欲しい。

 無期限休養を許してくれた団体の寛容な態度にも応えたかった。

 天山

 大けがなのに、会社から引退を迫られたこともなかった。恩に報いたかった。今やめたら、踏ん切りがつかないですし。プロレスラーでない自分なんて想像できないですから。

 右肩は完治には至っていないが、腕を水平にまで上げられるようになった。復帰の舞台は、新人育成大会の「NEVER」。IWGP、同タッグ王座、G1など、数々の栄光に浴した男は、あえてゼロからの再出発を希望した。

 天山

 これが再デビューのつもりです。新日本の本隊復帰も、今は考えていない。相手は若手だっていい。(本隊に)戻るのは、自分が納得できる試合をしてからでしょうね。

 IWGPヘビー級王者で、かつてIWGPタッグ王座を勝ち取った盟友の小島聡への思いも封印している。ほとんどの試合を録画しているが、見ていないという。天山の目は、上を向かず、前だけを向いている。【取材、構成・森本隆】