辰吉寿以輝(じゅいき、18=大阪帝拳)が“ダウン”を奪ってプロボクサーになった。元WBC世界バンタム級王者辰吉丈一郎(44)の次男寿以輝が24日、大阪市内のIMPホールでC級ライセンス(4回戦)のプロテストを受験。実技のスパーリングで、プロ1戦1敗の小山英哉(25=ワイルドビート)に左フックをさく裂させて、レフェリーが一時ストップ。合格が即日、発表された。父と同じWBCバンタム級王座を目標に掲げて、来春にも予定されるデビュー戦に向かう。

 ロープまで吹っ飛ばした。寿以輝が、プロテストでは珍しい“ダウン”を奪った。1回1分40秒すぎ、ワンツーから左フックを顔面にさく裂させた。痛烈なパンチを見てレフェリーがストップ。小山の体力回復を待つ間、寿以輝はコーナーで相手をじっと見つめた。再開後も右ストレート、左フックで圧倒。合否を判定するジャッジの1人は「やっぱり父のDNAを受け継いでいる」とうなった。

 「緊張したからうれしい。ただこれまでで一番動きが硬かった。左ボディーを打ちたかった。自己採点は全然低い。下の方です」

 18歳は合格直後に父に電話して「良かったな」と言われても控えめ。ただチャンスでKOを狙う本能は父譲り。小山は「プレッシャーが強くてパンチが強い。今日は(練習用で)大きいグローブだったが、試合なら効いていたかもしれない」。吉井会長も「(倒しに)いける時は本能的にいける。プロ向き。おやじに似てますわ」と言った。

 「辰吉2世ってオレのことやんな?」。小学生のころ、母るみさんに真顔で聞いた。幼稚園から「世界チャンピオンになる」が口癖。00年代は有望なボクサーは父と同じ右構えというだけで「辰吉2世」の名がつき、子ども心に不思議に思った。父が97年11月にシリモンコンをKOしてWBC王座に返り咲いた時はまだ1歳3カ月。「何となく、かすかに覚えている」という次男は父の背中を追った。

 昨年1月に父がかつて所属した大阪帝拳ジムに行った。当時の体重85キロから20キロ減量が入門の条件。定食屋で最初に「ごはん4杯とおかず」を注文したほどの大食漢。しかも中学までは父と仲がいい「平成のKOキング」坂本博之さんに腕相撲で勝つため、上半身の筋トレに熱中してラガーマンのような体形だった。父は「できるやろ」と即答したが、るみさんは「厳しいんちゃう。育ち盛りやし、体を壊す」と心配。その母はこの日、プロテストを見届けた。「この子を産んだ時はボクサーになるとは全く思っていなかった。お父さんの背中を見てたんかな」。

 プロボクサー寿以輝の目標は明確。「世界王者。KOするボクサーになりたい。(父と同じ)WBCのベルトがほしい」。この日のテストは減量なしの体重59・4キロだったが、来春のデビュー戦は父と同じバンタム級(リミット53・5キロ)近くを予定。本物の「辰吉2世」が鮮やかに第1歩を踏み出した。【益田一弘】

 ◆辰吉寿以輝(たつよし・じゅいき)

 1996年(平8)8月3日、大阪・守口市生まれ。幼少期から父丈一郎の手ほどきでボクシングに親しむ。6歳で初めて大阪帝拳ジムを訪れる。寺方小2年の時にプロになることを決意。12年3月に守口第二中を卒業。好きな選手は辰吉丈一郎とマニー・パッキャオ(フィリピン)。家族は両親と兄。兄寿希也(じゅきや)さんと寿以輝の名前は、99年に亡くなった父方の祖父粂二(くめじ)さんがつけた。身長167センチの右ボクサーファイター。

 ◆主な2世プロボクサー

 戦前の日本ウエルター級王者「ライオン野口」こと野口進は、次男恭が日本フライ級王者になっている。元世界王者では、WBAフライ級花形進の長男晋一、WBAスーパーウエルター級輪島功一の次男大千(ひろかず)がプロデビュー。日本スーパーフェザー級王座を2度防衛中の内藤律樹(23=E&Jカシアス)は、父が日本ミドル級王者カシアス内藤。野口親子に続く史上2組目の親子日本王者となった。