関脇照ノ富士(23=伊勢ケ浜)が横綱白鵬との優勝争いを制し、初の賜杯を手にした。碧山を寄り切りで下して12勝目。3敗で並んでいた白鵬が横綱日馬富士に敗れ、101人目の優勝力士となった。年6場所制となった1958年(昭33)以降は貴花田、朝青龍に続き歴代3位となる初土俵から25場所のスピード記録。1度は消えた大関昇進も確実にし、荒れる夏場所の主役をかっさらった。

 目頭に、熱いものが込み上げた。これまでの苦労がよみがえる。照ノ富士は白鵬が敗れる姿を見届けると、付け人の駿馬と無言で抱き合った。「夢みたい…」。そう話すのがやっとだった。史上101人目の優勝は、初土俵から歴代3位のスピード記録。モンゴル出身力士5人目となる新大関の座も、一気に射止めた。

 2番前に碧山を寄り切りで下して、白鵬に重圧を与えた。支度部屋では兄弟子に祈った。「勝ってくれ」。その思いは届いた。「今までで一番緊張しました。自分ではもう1回、勝つつもりでいた」。何よりも日馬富士の気持ちが染みた。

 10年3月に逸ノ城らと同便で来日した。間垣部屋に入門し、部屋の閉鎖で転籍すると、番付を駆け上がった。右四つながら左四つでも戦える器用さ、体格を生かした力相撲-。驚異の粘り腰で土俵を沸かせた。春場所後は14勝以上とされた昇進目安も、強運を味方につけて徐々に変えた。白鵬に敗れて1度は消滅したムードを再燃させた。3場所連続の敢闘賞も受賞。吉葉山以来64年ぶりに三役2場所通過の快挙を果たした。

 “変化”を見せたこの2場所。体を突き動かしたのは両親への思いだった。23年前、4900グラムで生まれた大きな男児は、両親の名前を分け合い「ガンエルデネ」と名付けられた。「ガンは一番硬い鉄。エルデネは一番大事なもの」。少年時代は父ガントルガさんの働く鉱山まで約1キロ、20リットルのバケツを両手で抱えて何度も往復した。だが、来日後に父の会社が倒産。自分にできることは何か-。強くなれば手にするものが増える。必然と稽古への姿勢が変わった。

 新入幕で力士人生初の5連敗を喫すると「やらなきゃダメだ」と腕力の強化にも取り組んだ。腕立て伏せに、20キロのダンベルやチューブトレーニングが、今の日課になった。関取昇進以降、毎月仕送りを続ける。「お母さん、お父さんに感謝の気持ちでいっぱい」。屈強な心を持つ孝行息子が、最高の形で恩返しした。

 この日は柔道やモンゴル相撲を学んだ恩師シーレブさんを招待し雄姿を届けた。故郷でテレビ観戦した母オヨンエルデネさんからも「ありがとう」とねぎらわれた。だが、まだ上がある。大関在位2場所で横綱昇進となれば、昭和以降では双葉山、照国と並ぶ。「大関照ノ富士」の挑戦は、ここから始まる。【桑原亮】

 ◆大関昇進への流れ 審判部は千秋楽の午前中に会議を開き、照ノ富士が初優勝した場合、大関昇進を諮る臨時理事会の開催を北の湖理事長(元横綱)に要請することを決定。優勝後に、同理事長に了承された。理事会で昇進が見送られた例はない。照ノ富士は今日25日に一夜明け会見、26日に“使者待ち”会見を行う。27日の名古屋場所(7月12日初日、愛知県体育館)番付編成会議と臨時理事会を経て、正式決定。同日中に、同じ伊勢ケ浜一門の理事と審判委員が使者として伊勢ケ浜部屋へ出向き、伝達式が行われる。