大相撲の元大関貴ノ浪で幕内優勝2回を記録した音羽山親方(本名・浪岡貞博)が急死した。20日午前、急性心不全のために大阪市内のホテルで倒れ、搬送中に亡くなった。43歳だった。87年春場所に藤島部屋で初土俵を踏み、94年初場所後に大関昇進。196センチの長身を生かした豪快な投げ、つりを武器に大関には37場所在位した。04年夏場所限りで現役引退し、今年2月からは審判委員に起用されて土俵下で目を光らせていた。通夜は21日午後7時、告別式は22日午後0時半から、ともに名古屋市守山区苗代2の1812、平安会館で。喪主は未定。

 まだ43歳。若すぎる。あまりにも突然の音羽山親方の訃報だった。三沢市に住む母京子さん(77)に連絡が入ったのは午後1時半ごろだった。「友人に会ってくる」と言って大阪を訪れて、その後に戻った大阪市内のホテルで容体が急変した。病院に運ばれる途中で、息を引き取ったという。

 京子さんが最後に会ったのは昨年の盆に帰省したときだった。普段と変わらない元気な様子だったといい、それだけに「見るまでは信じられない。しょうがないです。悔しかっただろうなと思います。これからだったから…。私は年だから、代わってやりたかった」と戸惑いを隠せなかった。

 現役時代「にょ浪」と呼ばれて愛された音羽山親方。実は初め、力士になるつもりはなかった。だが、当時の師匠の藤島親方(後の二子山=元大関貴ノ花)から「5年だけ頑張ってみろ。関取になれるから」と説得されて、87年春場所で初土俵を踏んだ。当時の部屋は、三番稽古の後に申し合いを行う猛稽古の連続。入門時に119キロだった体重は、半年で約30キロも減った。そんな稽古のたまもので、4年で十両昇進を果たしたが、親方には「1年遅い」と怒られて絶句した。

 セオリーを超越した豪快な相撲が持ち味だった。長身を生かしてクレーン車のように相手をつり上げ、抱え込んで振り回す。ときに酷評もされた取り口は、魅力にあふれていた。同部屋だった若乃花、貴乃花の兄弟横綱らと相撲人気をけん引。94年初場所後、同期の武蔵丸(元横綱=武蔵川親方)と大関へ同時昇進。96年初、97年九州場所と2度、優勝の歓喜も味わった。

 その一方で2度の大関陥落も経験した。引退を考えたが「オレにしか取れない相撲を、お客さんに楽しんでもらえたらいい」と耐え忍び、陥落後の在位は通算25場所を数えた。話術が巧みで、明るく心優しき性格の持ち主。そして情にも厚く、涙もろい。03年九州場所で、幕内で史上1位の58度も対戦した武蔵丸が引退した際は、支度部屋でわが事のように号泣した。

 心臓に持病はあった。04年夏場所で引退した際は、場所前に不整脈を患って入院。06年にも約2カ月間入院し、一時は心臓も停止するなど危険な状態だった。ただ、京子さんによると、心臓病は完治していたそうで、胃潰瘍の手術をした際も「胃も調子いいんだよ」と話していた。貴乃花部屋で後進の指導に当たり、今年2月からは、審判部へ異動となったばかり。あまりにも早すぎる別れだった。