優勝決定戦の末に、横綱鶴竜(30=井筒)が9場所ぶり2度目、横綱昇進後は9場所目で初となる優勝を飾った。本割で手負いの大関照ノ富士(23)に寄り切られて12勝3敗で並ばれたが、決定戦は上手出し投げで下した。序盤で1人横綱となった今場所。2度の変化など横綱らしからぬ相撲もあったが、家族の力を支えに戦い抜いた。

 賜杯の反対側には、29日で生後4カ月になる長女がいた。支度部屋で両腕に抱えた2つの重みこそ、ずっと思い描いていた夢。その「夢がかないました」。重圧から解放されて、鶴竜はしみじみと喜びに浸った。

 いまだなかった最高位での優勝。重みは人知れなかった。勝てば決まる本割では当たり負け、右四つで寄り切られた。「またダメかと、一瞬思いました」。

 迎えた決定戦では、館内に「照ノ富士」コールが充満した。前日の2度の変化と、手負いの相手の奮闘に、完全に敵役となった。だが、集中は切れなかった。両前まわしを取って頭をつけると、回り込みながら左からの上手出し投げ。最後に、自分の相撲が取れた。「この瞬間のためにずっとやってきた。腐らずに頑張ってやってきて良かったです。責任を果たせた」と、やっと肩の荷を下ろした。

 綱の重み。そこに左肩のケガが加わり、春、夏と2場所連続で全休した。1人では、乗り切れなかったかもしれない苦しみ。だが、そこに新しい家族がいた。ムンフザヤ夫人(24)と、長女アニルランちゃん。

 予定日から1週間過ぎた5月29日。鶴竜は病院の分娩(ぶんべん)室にいた。「父」となることを胸に刻むため。「1回は見た方がいい」と立ち会った。陣痛促進剤を打つほどの難産で、数時間かかった。喜びは一層、深かった。「娘は4480グラム。自分は4900グラムだったので遺伝かな」。夫人にも「オレの遺伝のせいかも」と笑って謝った。

 初めて3人で場所中を過ごした9月。3日目で1人横綱となり、重圧が増した。勝たなければ-。変化も2度、選んだ。罵声も浴びた。その苦しみに耐えたのは、家族にも初めての優勝をささげるため。「僕をいつも笑顔にしてくれる。1人では考えたりして笑えない。家族ができて、プラスに変えてくれた」。

 昇進から9場所目での賜杯に「自信になったし励みになる。先が見えてきた」と言った。ただ、今場所は白鵬も日馬富士もいない。照ノ富士も最後は手負いだった。その中での注文相撲は、横綱の威厳を薄れさせもした。それを取り戻せるか。全ては今後の鶴竜に懸かってくる。【今村健人】

 ◆鶴竜力三郎(かくりゅう・りきさぶろう)本名・マンガラジャラブ・アナンダ。1985年8月10日、モンゴル・ウランバートル市生まれ。01年9月に来日。しこ名は先代井筒親方(元関脇鶴ケ嶺)の「鶴」と「しっかり立つ」の響きから「竜」。「力三郎」は師匠の弟の元関脇寺尾(現錣山親方)の現役時代から取った。同年九州初土俵。06年九州新入幕、12年春後に大関昇進、14年春後に横綱昇進。得意は右四つ、寄り。186センチ、155キロ。家族は妻と長女。血液型A。