北の湖敏満氏(本名・小畑敏満)が20日午後6時55分、直腸がんによる多臓器不全のため福岡市内の病院で急逝した。62歳だった。

 北の湖理事長と現役時代にしのぎを削り「輪湖(りんこ)時代」を築いた元横綱、輪島大士氏(67)が21日、かつてのライバルの急死について文書でコメントを寄せた。咽頭がんの手術を受けて発声が困難なため。訃報について「最近、理事長は元気だと聞いたばかりだったので、とても驚いた。お互いに病気と闘っていたが、先に逝かれて寂しい」とした。

 対戦成績は輪島の23勝21敗だが「運動神経が抜群だった。1度掛けた技は2度は通用せず、頭のいい力士だった」と説明。思い出の対戦には74年名古屋場所を挙げた。千秋楽の本割、優勝決定戦と輪島が得意の下手投げで2連勝して逆転優勝。この場所後に北の湖は横綱に昇進した。

 輪島氏は引退後、日本相撲協会を退職した。その後はあまり付き合いがなかったというが「偶然、ホテルのサウナで会い、『裸の付き合いだね』と笑った。その後食事に行き、酒は強かった」と懐かしむ。

 その縁もあり理事長からは毎場所、番付表が送られてきた。「昔のライバルが相撲界で頑張り続けていることが、とてもうれしかった。もらった番付表は全て取ってある」。そして「俺はもう少し頑張る。(理事長には)よく頑張ったね、お疲れさまと言いたい」と弔いの言葉を贈った。