プレーバック日刊スポーツ! 過去の5月14日付紙面を振り返ります。2000年の1面は大相撲で83年ぶりに起きた珍事でした。

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 本割では83年ぶりの大「チン事」が起きた。三段目の取組で、朝ノ霧(23=若松)のまわしがほどけ「あそこ」がポロリ。勝負規定第16条により、対戦相手千代白鵬(九重)の反則勝ちとなった。本割では1917年(大6)夏場所以来の珍事。幸いテレビの生中継では局部は映らなかったが、事件は世界中に打電され、時津風理事長(62=元大関豊山)を「いくら公開ばやりでも、あんなもんは公開するもんじゃない」と困惑させた。悪夢の朝ノ霧は1勝3敗となった。 

 歴史に残る珍事だった。朝ノ霧は、千代白鵬とガップリ左四つに組み、激しい攻防を繰り広げていた。と、次の瞬間、上手をつかんでいた右手を離し、自分のまわしを押さえた。「まわしと腹の間がゆるゆるになって、ヤバイヤバイと思って……」。必死の抵抗も実らず、まわしはズルズルほどけて、ついにご開帳。土俵下で衝撃のシーンを目撃した審判員たちは「まわしだ! まわし! 見えてる! 見えてる!」と叫び、次々に手を挙げた。

 何も分からなかった客はキョトン。「見えていた」客は、ざわざわと騒ぎ出す。「完全に見えちゃったからな。現実をそのまま説明していいものかどうか、考えたよ」。困惑の鳴戸審判長(元横綱隆の里)は「東方力士の前袋が落ちたので、西方力士の勝ちとします」とマイクを通して場内説明した。午後1時すぎ、ちょうどテレビでもNHK衛星第2放送で生中継中だったが「あそこ」は映らず、茶の間に流れたのがしりだけだったのが、せめてもの救いだった。

 朝ノ霧の悪夢は、まわしを切ったことから始まった。昨年名古屋場所で新調したが、体重が5キロ近く落ちたため、まわしを切って長さを調整した。しかし、再び体が戻り、汗を吸ったまわしも縮んでいた。ギリギリの長さで締めたまわしを千代白鵬につかまれ、激しく揺さぶられた。あらゆる悪条件が重なって、83年ぶりの珍事は起きた。

 「恥ずかしい。(鳴戸審判長の場内説明も)恥ずかしくて聞こえませんでした」と朝ノ霧の顔は真っ赤。東三段目56枚目は自己最高位だが、これで1勝3敗と追い込まれた。付け人を務める朝乃翔の取組後、帰る手には2本のまわしがあった。「すぐに協会で新しいまわしを買いました。今度は1メートル長めに」。2度と恥ずかしい思いはイヤだと、7メートルのまわしを購入した。5600円の出費は「痛いです」。珍事のおかげで小遣いも減ってしまった。

 だが、大事なものを公開しても、あきらめない勝負根性は大したもの。「自分で土俵を割れば良かったんだけど、できなかった。どうにかして勝とうという気持ちでした。今度は優勝して、記者さんに囲まれたいです」。すべてをさらけ出した主役は、さわやかな笑顔で活躍を誓っていた。

 ◇局部映らずNHKホッ

 83年ぶりの珍事に、テレビ中継をしていたNHKも肝を冷やした。4台のカメラが問題の一番を撮っていたが、幸い局部は映しておらず流れなかった。歌手のなぎら健壱が、73年に同じような状況をコミックソング「悲惨な戦い」(放送禁止歌)で歌い、「テレビカメラを消せと怒鳴ったが、折り悪しくアルバイト」という歌詞があるが、現実はセーフだった。

 ◇ロイター世界へ

 このニュースは、ロイター通信によって世界に打電された。ロイターは「スモウ・レスラーのアサノキリの『MANHOOD(男性自身)』が、テレビで全国放送され、試合とともに品位も失った」と報道。「7、8メートルのベルトを強く巻いたマワシが外れ、リングサイドのスモウのベテランがルール上直ちに負けを宣告した」と説明した。

 ★時津風理事長(元大関豊山)「(笑いながら)いくら公開ばやりといっても、あんなものは公開するもんじゃないな」 

 ★師匠の若松親方(元大関朝潮)「結果はしょうがないが、非常に珍しい経験をしたよ。前向きにとらえて、後の相撲を頑張って、払しょくする気持ちを持てと、(部屋に)帰ったら言うよ」 

 ★敷島「見たかったな。その時NHKは少しお待ちくださいとの画面をバックに、相撲甚句でも流したのかな」 

 ★朝乃若「うちの部屋か。オレの付け人じゃなくてよかった。(隣の付け人に)おまえ有名になりたいからって、まわしを緩めるんじゃないよ」 

 ★対戦相手の千代白鵬「ビックリした。けいこ場でもこんなことなかった。何が何だか……」 

 <過去の「モロ出し」>

 ◆股間押さえ勝ち名乗り 1912年(明45)春場所8日目、幕内有明と八甲山の一番で互いにまわしをとってひねり合ううちに八甲山の前袋が外れ、局部が丸出しに。だがその瞬間、有明が横転し、軍配は八甲山に上がった。

 ◆前はずれ裁いた玉次郎 17年(大6)夏場所3日目、十両の男島は、幕下友ノ山との対戦で前まわしが外れ、局部を公開。行司玉次郎が検査役(現在の審判員)にうかがいを立て、男島の負けとなった。翌日の新聞の決まり手は「前はずれ」と書いてあった。

 ◆準場所では 46年(昭21)4月京都準場所4日目、十両の取組で明瀬川の前まわしが落ちたが、相手の達ノ里が寄り切った。同日、小結不動岩との対戦で前まわしが外れた五ツ海は、両手で前を隠しながら自ら土俵を割った。決まり手は「寄り切り」。

 ◆前相撲では 62年初場所、67年夏場所のいずれも前相撲で前まわしが外れた力士が負けとなった。 

 ◆まわしメモ

 約1300年前、互いの力を誇示するために相撲のルーツとなる競技を行った際、武器を隠し持っていないことを証明するためにふんどし1枚になったのが始まり、と伝えられている。現行規則にも「まわし以外のものを身につけてはならない」と明文化されている。湿布や包帯は例外として認められている。 

 ◆勝負規定第16条「前まわしがはずれ落ちた場合は負けである」

※記録や表記は当時のもの