プレーバック日刊スポーツ! 過去の1月23日付紙面を振り返ります。2001年のこの日は、外国出身初の横綱、曙の現役引退を報じています。

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 横綱曙(31=東関)が22日、現役を引退した。この日、師匠の東関親方(56=元関脇高見山)を伴い、日本相撲協会に引退届を提出。持ち回り理事会で「年寄・曙」襲名が承認された。その後の会見で両ひざの痛みが限界に達し、治療して再起する気力が尽きたと説明した。外国出身初の横綱で横綱貴乃花(28=二子山)の最大のライバルとして13年間、土俵を沸かせた。将来的に年寄名跡取得を目指し、後進の指導に意欲を示した。

 

 涙も尽きていた。昨年九州場所後2カ月、悩み苦しんだ日々を終え、曙はむしろスッキリした表情で会見の席についた。「毎日、毎日悩んだ。でも前は我慢できる痛みだったが、今は相撲を取らなくても痛い。また2、3場所休んで山を登り切れるか考えると、その気力がなかった」。師匠に決意を伝えに行ったのが、初場所12日目の18日。「もう少し頑張ってほしかった」という東関親方は、寂しそうに目を潤ませていた。

 激痛が消えない両ひざは、限界だった。特に右は眠れないときもあるほど痛んだ。「12月に痛くなったんじゃなく、ずーっと痛くて我慢してたんです」。94年に両ひざを手術して以降、土俵生活は痛みとの闘いだった。昨年は痛み止めを打ち、7年ぶりの年6場所皆勤を果たし、2度の優勝を飾った。だが、奇跡的な復活を遂げた頑張りは、致命的なダメージを与えた。

 外国出身初の横綱ばかり注目されたが、大きな功績を残した名横綱だった。在位48場所は歴代4位。在位中の勝ち星も歴代5位の432勝を数える。「8勝7敗でよければ、まだまだいけるが、横綱は勝たなければならない」。綱の重みも熟知していた。

 93年1月に横綱昇進した時、先輩横綱は不在。土俵入りの所作、意味など、「横綱とは」を教えてくれたのが、先代木村庄之助だった。初めて2人を引き合わせた関係者は、先代木村庄之助の話を曙が理解できるか疑ったという。だが、曙は2時間正座して、話に聞き入った。「横綱は若い者を育てるのも役目」という教えを実践。土俵上だけではなく、けいこ場でも横綱を立派に務めた。

 その指導力は、引退後も生きる。部屋付きの曙親方で再スタートするが、将来的には年寄名跡を取得したい意向も明かした。「これからのことは師匠と相談するが、部屋の(十両)高見盛にも強くなってほしいし、できる限りのことを教えたい」。203センチの史上最長身横綱は今後、最長身親方として、大相撲の発展に貢献していく。

 

 <一問一答> 

 -いつ引退を決意したのか

 曙 休場中の初場所12日目に、親方と相談して決めました。

 -引退の理由は

 曙 初場所前から両ひざの調子が悪くなった。これまでは我慢できたが、今は相撲を取らなくても、普通の生活をしていても痛い。休場して、再び山を登り切る気力がなくなった。確かに8勝7敗でいいならまだできる。でも横綱には、勝ち続ける責任があります。

 -悔いはないのか

 曙 考えて悩んで決めたので、悔いはないです。

 -一番の思い出は

 曙 横綱になれたこと。終わってみれば、雲の上を歩いていたみたい。本当に楽しかったです。

 -印象に残る場所は

 曙 やはり初優勝。あとは昨年の2回の復活優勝。もう2度と優勝できないと思っていた。子供と写真を撮れて本当に幸せでした。

 -つらかったことは

 曙 入門したころは、順調すぎて壁はなかった。やはり、横綱になってからの、ケガとの闘いが一番つらかったです。

 -同期の貴乃花、元若乃花について

 曙 貴乃花関と序ノ口で初めて対戦した一番は、今でも心に残っている。なんとなく、この世界で生きていくのだと思った。貴乃花関、元若乃花関がいなかったら、横綱に上がっていなかった。2人を追いかけて、負けたくないとの気持ちが生まれた。本当にありがとうございました。

 -今後は

 曙 部屋の高見盛にも、強くなってほしい。次の力士を育てるために、できる限り教えていきたい。

 

 ◇東関親方涙「立派です」

 曙の育ての親、東関親方は目を潤ませながら、引退会見に同席した。引退については初場所12日目の夜、話し合った。親方は「もう1度頑張ってみろ」と慰留したが、曙から返事はなかったという。「2人きりの部屋で、黙ったまま長い間見詰め合った。ああ終わりだなと思った」。

 外国出身力士の先輩だが、親方としては文字通り曙とともに歩んできた。1986年2月、東関部屋を独立創設した2年後に曙が入門。以来、曙の成長とともに、部屋も成長してきた。その大黒柱の突然ともいえる引退に、さすがにショックは隠せなかった。「2年前の引退ピンチの時も励まして、再起させた。今度も昨年は2度も優勝しているし、励ませば大丈夫と思っていた。でも、ひざの状態は限界を超えていた」と認めるしかなかった。

 引退を惜しんだ親方だが最後は「入門した時、まさか横綱になるとは夢にも思わなかった。大相撲をよく理解し、立派です。部屋の若い人を育ててもらいたいし、最高位までいった人だから協会に残ってもらいたい」と「曙親方」に期待していた。

 

 ◆精進のたまもの

 時津風理事長は「言葉や生活習慣の違うところに飛び込み、精進して横綱に上り詰めたのは立派」とねぎらった上で「この世界では、引退はいつも背中合わせ。曙は新しい世紀の場所で、貴乃花のあのような土俵を見届けて、心安らかになれたでしょう」と心情を思いやった。2横綱時代となるが「武蔵丸はまだ元気。貴乃花も復活。5大関もこのままではない。若い力も台頭して、これからいい展開になると思う」と安泰ぶりを強調していた。

 

 ★一力一夫横綱審議委員会前委員長 異文化の日本で横綱まで昇進した。日本で生まれた人以上の苦痛を乗り越えた努力を認めたい。

 

 ◇大関陣を鍛えて

 「礼儀正しさに感激しました」。横綱審議委員会に出席した脚本家の内館牧子さん(52)は曙をそうたたえた。同委員会の会議前に曙から引退あいさつされた。「帰り際もドアの前できちんとお辞儀をし、いつも曙の悪口を言っているわたしが恥ずかしくなるほど」と内館さん。「大関で1番が10勝では情けない。曙が抜けて、もっと危機感を持たなければ。曙には親方になり、彼らの気持ちに火をつける役をやってもらいたい」と残った上位陣に厳しい注文を出していた。

 

 ◆悲しいけど幸せ 

 「悲しいけど、彼(曙)にとってはハッピーな時を迎えたわ」。引退の知らせを米ハワイ州オアフ島ワイマナロの実家で聞いた曙の母ジャニス・ローウェンさん(55)は21日(日本時間22日)、電話でのインタビューに淡々と答えた。「ひざがまた悪くなった。引退したい」と息子から電話があったのは1、2週間前という。一家は冷静に受け止め「これで彼ももっと家に帰ってこられるし、トレーニングを一生懸命する必要もない」と思いやった。しかし、今後については「何をするかはまだ聞いていない」とちょっぴり心配そうだった。玄関には、化粧まわしをした曙の写真が飾られている。

 

 ◇周辺住民「残念」 

東京・羽村市にある曙の自宅周辺の住民は、ショックを隠し切れない様子だった。1軒隣に住むナンヌワニーさん(45=インド)は「奥さんとは友だちで、曙さんはたまに会うと、先にあいさつしてきた。優しい人で、まだまだ現役で頑張ってほしかったけど、残念ね」。リサ・メルコンさん(35=米国)は「本当に引退するの? せっかく相撲が好きになったのに、これからだれを応援すればいいの?」と惜しんでいた。

 

 ◆世界に続々打電 

 曙の引退は、世界に打電された。ロイター通信は「DAWN(夜明け)を意味するアケボノは、コニシキ以上の品格を備えていたため、タブーとされた外国生まれのグランドチャンピオン(横綱)になれた。スポーツに秀でるだけでなく、ウルトラ閉鎖的な相撲の世界にも適応したキャリアを終えた」と報じた。AP通信は「ハワイ生まれで、相撲の最初の外国生まれの横綱が引退した。横綱昇進時には多くの日本人から、横綱は日本人じゃなきゃ、と反対された。多くの逆風も無言でしのいだが、ついに輝かしいキャリアに幕を下ろした」と紹介した。

 

 ◇漫画家・やくみつるさん「一瞬の輝き」見事 

 年間最多勝を挙げた翌年に1度も相撲を取ることなく引退-唐突にも映るが、裏を返せば、昨年の活躍こそ、ロウソクが燃え尽きる前の一瞬の輝きだったのだろうか。むしろ一昨年に引退していてもおかしくなかっただけに、アッパレな1年だった。全盛期は、貴乃花に先んじて横綱に昇進し、3連覇も果たした93年(平5)あたりか。しかし、その後の若貴の台頭でだいぶ印象を薄められたのは気の毒。投げや引き技にゆっくり崩れていく様の方が記憶に残るハメになってしまった。取組、成績両面で「準A級横綱」の称号をあげられるのではないか。

 

 <横綱曙の記録>  

 ◆スピード昇進 初土俵から所要30場所。新入幕から15場所(3位、1位は大鵬の11場所)

 ◆在位 48場所(歴代4位、1位は北の湖の63場所)

 ◆優勝 8回(歴代7位、1位は大鵬、千代の富士の29回)

 ◆勝ち星 432勝(歴代5位、1位は北の湖の670勝)

 ◆休場 13場所(歴代1位、大鵬に並ぶ)

 ◆金星配給 35個(3位タイ、1位は北の湖の53個)

 ◆76年ぶり 出場した最後の場所が優勝だったのは1925年(大14)1月場所で3場所連続優勝し、場所後に引退した栃木山以来。

 

 ◇とっておきメモ

 曙は、巨体と対照的に極めて繊細な神経の持ち主だ。大酒豪だが、酒席では、同席者への配慮を欠かさない。泥酔者が出ると、いつも自分の背中を「担架」代わりにして、運びだす姿があった。酒席はもちろん、いつも携帯電話を手放さず、暇があると電話をかけまくる。根が飛び切りの寂しがりやということもあるが、親しい人にはとことんマメな付き合いをせずにいられない性格もある。

 他人に対する思いやりの深さは、計り知れない。1993年7月に最愛の父ランディーさんが亡くなった時、曙から「ダディのひつぎに写真や新聞を入れたい」と連絡を受け、ハワイに同行した。「チャドが呼んでいる」と言われ、霊安室に入ると、曙が「ダディに最後のキスをする写真を記者に撮らせる」と母ジャニスさんを必死に説得していた。写真や新聞を提供してくれた恩は何としても返さなければならない、その気持ちに言葉がなかった。

 「日本人以上に日本人的」。よく使われるフレーズは、曙にこそふさわしい。逆に言えば、そんな性分だからこそ、異文化に適応し、溶け込み、頂点まで上り詰めることができたのかもしれない。

 

 ◆横綱の引退 横綱は引退しても5年間は、現役名のまま協会に在籍できる。委員待遇で、給与は横綱の282万円から80万8000円と大幅に下がる。最近では3代目若乃花が「藤島」を襲名したが、2代目若乃花、北勝海、大乃国、旭富士はシコ名で残り、後に名跡を変更している。2代目若乃花は83年1月に引退、5月に「間垣」に名跡変更し、12月に二子山部屋から独立して部屋を興した。

 

 ◆曙太郎(あけぼの・たろう)1969年5月8日、米ハワイ州オアフ島生まれ。96年4月に日本国籍を取得し本名はシコ名のまま。旧名ローウェン・チャド・ジョージ・ハヘオ。88年春場所初土俵で貴乃花、元若乃花らと同期。90年春場所新十両、同年秋場所新入幕。92年夏場所初優勝を飾り、場所後に大関昇進。93年初場所後、外国出身力士初の横綱に。通算優勝11回。幕内成績は566勝198敗181休。98年4月、クリスティーン麗子夫人(28)と入籍。1男1女が誕生。203センチ、233キロ。得意は突き、押し。

※記録と表記は当時のもの