初優勝を決めていた大関稀勢の里(30=田子ノ浦)が98年の3代目若乃花以来、日本出身力士19年ぶりの横綱昇進を確実にした。千秋楽結びの一番で横綱白鵬を逆転のすくい投げ。自己最多となる14勝目を挙げて優勝に花を添えた。「第72代横綱稀勢の里」は23日の横綱審議委員会を経て、25日の臨時理事会で誕生する。場内の優勝インタビューで涙をこぼしながら、さらに精進することを誓った。

 稀勢の里が、笑った。支度部屋。万歳三唱の直前、初めて抱いた天皇賜杯の表と裏が反対になっていた。指摘されると「初めてだから!」と照れ笑いした。賜杯の持ち方も、どこかぎこちない。でも、それが初々しかった。「言葉にならないですね。重かったです。我慢して良かった。腐らなくて良かった」。初優勝を、しみじみと味わった。

 千秋楽の取組前、審判部は既に横綱昇進を審議する臨時理事会の開催要請を決めていた。だが、結びの一番に勝つと負けるとでは印象は違う。その状況で臨んだ白鵬戦。立ち合いで左ほおを張られて、横綱の出足に後退した。一気に俵に詰まる。絶体絶命。体は弓なりとなった。しかし…。

 「支えられた気がしました。後ろから」。見えない力を感じた。横綱のがぶりを3秒間、耐え抜いた。そして、左に回って逆転のすくい投げ。己の相撲道を信じ、愚直に貫いてきた姿を、相撲の神さまは見ていた。亡き先代師匠の鳴戸親方(元横綱隆の里)にも思いをはせて「後押ししてくれたと思う」。そう言った。

 取組後は座布団が舞った。舞わせるのはもしかしたら、これが最後だろうか。第72代横綱誕生は確実となった。吉兆は場所前にあった。昨年11月末、愛媛県西予市で165周年を迎えた乙亥(おとい)相撲に参加。綱を締めた男の子たちを代わる代わる抱っこする稚児土俵入りを行った。その途中、1人の子の綱が土俵に落ちた。担当者も「綱が取れるのは珍しい。記憶にない」という光景。その綱を、稀勢の里が拾った。まるで「綱とり」。ささやかれた予感は現実となった。

 場内の優勝インタビューでは言葉を詰まらせた。優勝を決めた瞬間と同じく、右ほおを一筋の涙が伝った。万歳三唱のとき、背中には両親を始め、多くの人々がいた。「自分1人なら、ここまで来られなかった。いろんな人の支えがあった。人に恵まれているなと思います」。待望久しい日本出身横綱になる。その覚悟は固まった。「まだまだ物足りない部分がある。まだまだ強くなる。ここで終わりじゃないですから」。そう。「稀勢の里寛」の物語は今、ようやく始まった。【今村健人】