横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)が、優勝した昨年3月の春場所以来、9場所ぶりの勝ち越しを決めた。西前頭3枚目の遠藤と3度立ち合いが合わなかったが、今場所最短2秒3で寄り切り快勝。元横綱日馬富士と並ぶ、歴代6位タイの幕内通算712勝目を挙げた。年6場所制となった1958年(昭33)以降の横綱では、歴代最長の8場所連続休場から進退を懸けて出場した場所で、引退危機回避へ最低ラインは死守した。

立ち合い不成立が3度も続き、緊張感は極限に達していた。4度目の立ち合いで、稀勢の里は不成立の3度目に続いて右で張って前に出た。遠藤の出足を鈍らせると、すかさず左を差して胸を合わせ、一気に寄った。相手に何もさせず、わずか2秒3で快勝。1年半ぶりの勝ち越しを決めた勝ち名乗りは、口を真一文字に結んでかみしめた。

取組後は遠藤とともに審判部に呼ばれ、手つき不十分な立ち合いについて口頭で注意された。立ち合いのたびに緊張感が増す状況にも「集中して、しっかりと相撲を取ろうと思っていました」と振り返った。5連勝した序盤戦は逆転での辛勝が多かったが、大関栃ノ心に快勝した前日9日目に続き、内容も伴ってきた。

15歳で入門後、間もなく付け人を務めた兄弟子の西岩親方(元関脇若の里)から、休場中にかけられた言葉を胸に復活を目指してきた。「稽古場でかっこつけたらダメだ。横綱でも泥だらけになって、頭をぐちゃぐちゃにして稽古するのが一番かっこいいんだ」。夏巡業、今場所前の出稽古などで、時にはボロボロになりながら精力的に上位と相撲を取った。その間、関取衆と203番(156勝47敗)。大関豪栄道に3勝8敗など、不安を残す日もあった。それでも初日の3日前に「しっかり準備ができた」と言い訳せず、退路を断って出場を表明した。

西岩親方は故人の先代鳴戸親方(元横綱隆の里)の言葉を思い出していた。入門当初、稀勢の里について師匠は「あれは将来、大物になる。お前が稽古をつけてやれ」と語ったという。当時の西岩親方はその後、約3年も三役に定着。西岩親方は「三役と新弟子だから力の差は歴然。その中で1日100番近く、泣きながら稽古しても絶対に弱音を吐かなかった」と振り返る。苦しくても黙って耐えて逃げ出さない。進退を懸けると明言して出場した今場所の姿と重なっていた。

これで日馬富士と並ぶ幕内通算712勝目。終盤戦5連敗などでなければ引退危機は回避といえる状況となった。師匠の田子ノ浦親方(元前頭隆の鶴)は「まだまだこれから。勝ち越しが目標じゃないので」と、口数の少ない本人の思いを代弁した。引退危機の完全消滅へ、さらに勝ち続けるつもりだ。【高田文太】