大相撲の第54代横綱輪島で、14度の幕内優勝を果たした輪島大士さん(本名・輪島博)が死去したことが9日、関係者への取材で分かった。70歳だった。

輪島さんと同年齢で、日本相撲協会理事長も務め第57代横綱三重ノ海として活躍した、現相撲博物館の石山五郎館長は「ニュースで(訃報を)知ってビックリした」と話した。2年前の名古屋場所で現地を訪れた際、ホテルのロビーで偶然、顔を合わせたのが最後だという。会話はできなかったが「こっちの方で一方的に『今後、飯でも食おう』と話しました。普通に歩いていたし元気だった。それきりです」と続けた。

同じ昭和23年の早生まれで同学年。たたき上げと大卒の違いで、初土俵は同館長の方が6年半早かったが、横綱昇進は輪島さんの方が約6年、早かった。当時を振り返り「それまで我々が教わった相撲界の中では、考え方も含めて番外でした。(地方場所で)ホテルから部屋に通うなど考えられなかった。うらやましかった」と、豪放磊落(らいらく)な性格をうらやんだ自分がいたという。

思い出の一番に挙げたのは77年(昭52)九州場所、4勝3敗で迎えた8日目の相撲だったという。「私は大関でしたが、それまで何場所か勝ってなくて(4場所連続黒星)、その場所も調子が良くなくて、彼は全勝。思い切って張り差しにいって二本差していっぺんに持って行った。翌日、支度部屋で『あんなに思い切り、ひっぱたかなくてもいいじゃないか』と言われました(笑い)。あれから俺のことを苦手にしたみたいでした」。幕内対戦成績は16勝27敗だが、その一番を含め以降は10勝3敗と得意にした。

現役引退後も、食事会を設け、年寄としては2場所“先輩”だったこともあり職務のアドバイスなどもしたという。年寄名跡を借金の担保にしたことなどで輪島さんは廃業に追われたが「その前に2人で食事した時も、心配で何度も聞いたけど『大丈夫。持っている土地を処分すれば大丈夫』と言っていた。あんな形で(廃業したのは)残念」と惜しんだ。