稀勢の里(32=田子ノ浦)が、横綱としては実に87年ぶり2人目となる、初日から4連敗を喫した。東前頭2枚目の栃煌山を攻めて1度は軍配が上がったが、物言いの末、軍配差し違え。相手が死に体とも受け取れる微妙な判定だったが、運が味方することはなかった。

幕内後半の審判長を務めた阿武松審判部長(元関脇益荒雄)は、稀勢の里について「九分九厘、勝っている相撲」と評した。それでも、協議の結果は「稀勢の里の肩が早く、行司軍配差し違え」と説明した。物言いで親方衆が集まったが「一番近くで見ていた親方が、肩が早いと言っていた。そこはもう」と、すぐに結論が出たと明かした。栃煌山が、死に体になっていたのではないかという議論には至っていなかった。

この日の稀勢の里の相撲は「気力はあったと思う。あと1歩で上体が下がらない。それに尽きる」と、腰高の悪癖が残ると指摘した。今後の出場については「それは本人と師匠が話し合うこと」とだけ話した。