現役引退を決断した大相撲の横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)が16日、東京・両国国技館で引退会見を行った。

-引退を決断しての今の心境は

「横綱としてみなさまの期待にそえられないということは非常に悔いが残りますが、私の土俵人生において一片の悔いもございません」

-今頭に思い浮かぶのは何か

「たくさんの人に支えられて1人1人の顔を思い出します」

-昨日相撲を取り終えて引退を決意するまで心の動きは

「やり切ったという気持ちが最初にありました」

-17年間の土俵人生はどんな土俵人生だったか

「いろいろな方に支えられて、僕1人ではここまで来られなかったと思います」

-一番心に残っているのは

「ありすぎてなかなか思い出せませんが、やはり稽古場が僕を強くしてくれたので、稽古場での思い出は今でも覚えています」

-今場所はどんな気持ちで土俵に上がったか

「覚悟を持って場所前から稽古しました。自分の中で「これでダメなら」という気持ちになるぐらい稽古しました。その結果、初日から3連敗して自分の中では悔いはありません」

-2年前の新横綱の場所で負傷した時の状況は

「一生懸命やってきましたから」

-相当大けがだったのか

「そうですね」

-2年たって回復具合はどうか

「徐々によくなってきましたが、自分の相撲を、ケガする前の自分に戻すことはできなかったです」

-ケガとの闘いの中でどういう思いで横綱を務めたのか

「潔く引退するか、ファンの人たちのために相撲を取るのかというのはいつも稽古場で自問自答していました」

-厳しい先代からの教えで心に残っているのは

「稽古場というのは非常に大事とおっしゃっていました。今後、次世代の力士にも大事さを教えていきたいです」

-天国で見守る先代にはどう報告するのか

「素直に感謝の気持ちを伝えたいです」

-思い出の一番は

「17年、横綱昇進を決めた後の千秋楽横綱白鵬関との一番です。11年に大関昇進した時は千秋楽で琴奨菊関に負けました。その悔しい思いがあって次に昇進する時は絶対に負けないという気持ちがありました」

-高安に声をかけるとしたら

「もう1つ上がありますから。まだまだこれから」

-横綱になって変わった部分は

「大関時代、幕内、十両もそうですけど、全く環境も変わりました。意識の部分もそうですし、環境の部分もそうですし」

-モンゴル出身力士に対する思いは

「自分を成長させてもらった。横綱朝青龍関をはじめ、モンゴルの横綱にかわいがってもらった。背中を追っかけて少しでも強くなりたいという思いで稽古しました。上に上がれない時も、日馬富士関から非常にいいアドバイスを頂いたのを覚えています。感謝の気持ちでいっぱいです」

-今後どういう力士を育てたいか

「一生懸命相撲を取る力士、そしてケガに強い力士。そういう力士を育てたいです」

-これまでで忘れられない瞬間は

「天皇賜杯を抱いた時です」

 

◆稀勢の里寛(きせのさと・ゆたか)本名・萩原寛。1986年(昭61)7月3日、茨城県牛久市出身。02年春場所初土俵、04年夏場所に17歳9カ月で新十両。同年九州場所に18歳3カ月で新入幕はともに貴花田(後の横綱貴乃花)に次ぐ史上2位の年少昇進記録。06年名古屋場所で新三役となり、12年初場所で大関に昇進。16年九州場所で12勝を挙げて自身12度目の優勝次点となり、在位31場所目の翌17年初場所で初優勝。第72代横綱となった同年春場所で2場所連続優勝を飾るも、翌場所から8場所連続休場。18年秋場所で10勝を挙げ皆勤も、その後、不戦勝を除き3場所にわたる8連敗で引退を決意。得意は突き、押し、左四つ。殊勲賞5回、敢闘賞3回。金星3個。通算800勝496敗。家族は両親と姉。188センチ、177キロ。