平成最後の大関が誕生する。関脇貴景勝(22=千賀ノ浦)が、事実上の大関昇進を決めた。

かど番脱出へあと1勝としていた大関栃ノ心を押し出し、“入れ替え戦”を制して白星を2桁に乗せた。

直近3場所の合計勝利数が、昇進の目安とされる33勝を1つ上回り、阿武松審判部長(元関脇益荒雄)が大関昇進を諮る臨時理事会の招集を八角理事長(元横綱北勝海)に要請して了承された。27日の臨時理事会、夏場所の番付編成会議を経て正式決定する。

顔は紅潮し、口元が小刻みに震える。今場所10度目の勝ち名乗りを受け、土俵下に座った。額から落ちる汗が、貴景勝の頬を伝う。涙ではない。「だって、これで終わりじゃないし、おやじと約束したから」。幼少期、父一哉さんに口酸っぱく「人前では涙を見せない」と言われた。その父が2日連続で観戦に訪れる中、14日目はあっけなく敗戦。「親の前で、情けない子どもだと感じていた。最後に勝てて良かった」と、胸をなで下ろした。

緊張と集中のはざまにいた。「(取組内容は)あまり覚えていない」。大関昇進の目安は10勝以上。勝利が絶対条件だった。相手はかど番脱出に王手をかけていた栃ノ心。惨敗した14日目の逸ノ城戦では、力ないもろ手突きで立ったが、この日は本来のスタイルに立ち返った。頭からぶつかり、3発で押し出す電車道。「昨日の夜から自分と向き合う時間が長かった。何とか、自分の体を武器にしてやってきたことを思い出した」。

究極の押し相撲を磨いてきた。幕内で2番目に小さい身長175センチ。14年秋場所に初土俵を踏んで角界に足を踏み入れた時は、幕内力士の巨体を見て「こんなところでやっていけるのか」と不安が募った。四つ相撲では、体格で勝る相手に歯が立たない。「自分はまわしを与えたら勝てない」。押しといなしを巧みに使い分け、絶妙な距離感で勝負してきた。昇進決定と同時に、技能賞を2場所連続で獲得。師匠の千賀ノ浦親方(元小結隆三杉)も「今までにいないタイプ」と評価する独自のスタイルで、周囲を認めさせた。

日本人の誇りを胸に、次は最高位の番付を目指す。「ゴールじゃない。さらに上を目指さなきゃ(大関は)務められないと思う」。小中学生の頃、相撲界を席巻していたのは元横綱朝青龍や白鵬ら外国人力士。さらに八百長などの不祥事で相撲人気が低下する中、小学校の卒業文集では「角界に入り日本人横綱になり人気を取り戻したい」と誓った。その思いはプロに入っても変わらない。「日本代表という言い方はおかしいけど、武士道精神。外国人力士に負けない、日本の心を持った力士になりたい」。勝っても負けても、感情を表に出さない。和の心を持った幕内最年少の22歳が、階段をさらに駆け上がる。【佐藤礼征】