87年暮れに起きた北尾光司さんの立浪部屋脱走は大事件となった。

連日、北尾さんがいる江東区のマンション前に張り込んだ。88年の新年はマンション前で迎えた。北尾さんが、マンションを出て錦糸町駅の売店で買い物をすると、買った品々をデスクに詳細に連絡。それが記事になった。

北尾さんは大きな子どもだった。巡業では時々会場からいなくなり、何度も記者と追跡劇を演じた。付け人を空気銃で撃ったり、サバイバルナイフの収集が趣味で、よく部屋で自慢げに見せられた。横綱になっても、そんな振る舞いは変わらなかったが、大きな子どもだと思うと憎めないところがあった。

ただ、相撲の素質は群を抜いていた。199センチ、151キロという恵まれた体に、天性の素質があった。あの大きな体を前傾させ、おっつけると、かなう者はいなかった。200キロを超す巨体の小錦をさば折りで破るなど、豪快さも兼ね備えていた。その素質を当時の春日野理事長(元横綱栃錦)は高く買っていた。当時、千代の富士の次に角界を引っ張る存在として期待を寄せていた。優勝もなかったが、2場所連続で優勝争いを演じたというだけで、鏡山審判部長(元横綱柏戸)に命じて、強引に横綱にしてしまった。

そんな相撲協会上層部や、大相撲ファンの期待をどう感じていたのか。親方とのいさかいで、北尾さんは人生を狂わせてしまった。今でも、あの才能が開花していたらと思うと悔しい。北尾さん、天国で、大横綱になってください。合掌。【桝田朗】