4月25日に肺炎のため70歳で死去した元関脇黒姫山の田中秀男(たなか・ひでお)さんの告別式が、令和最初の日となった5月1日、東京・両国の回向院で営まれた。

式には、田中さんの孫にあたる三段目力士の田中山(17)が所属する境川部屋の師匠・境川親方(元小結両国)や部屋付き親方、大関豪栄道ら関取衆が前日の通夜に続き参列。また、日本相撲協会理事の高島親方(元関脇高望山)、花籠親方(元関脇大寿山)井筒親方(元関脇逆鉾)の両副理事、常盤山親方(元関脇舛田山)、相撲解説者の北の富士勝昭さんら、故人にゆかりのある多数の関係者が参列した。

出棺前に、遺族を代表して田中さんの長男で元幕下力士の田中大介さん(44)が「父は曲がったことが大嫌いな人間でした。相撲同様、まっすぐな人で煙たがられることも多かったと思いますが(中略)本日はありがとうございました」とあいさつ。自分が興した武隈部屋消滅後、友綱部屋付きの親方として後進の指導にあたっていた際の、部屋の師匠だった大島親方(元関脇魁輝)や田中山らの手によって、田中さんが眠る棺は出棺された。戒名は「真行院武山秀道居士」。最後の年寄名跡(武隈)、しこ名(黒姫山)、本名の名前(秀男)から1字ずつが入れられた。