西序ノ口31枚目の矢田部(18=芝田山)が、令和最初の勝ち名乗りを受けた力士となった。東序ノ口32枚目の山本(朝日山)に、立ち合いで胸から当たると一気に寄り倒し。相手はたまらず土俵下まで転げ落ちた。

3月の春場所の前相撲で初土俵を踏み、この日が番付にしこ名が載ってから初の取組だった。取組前の所作を間違えるなど、初々しさもあったが「うれしい。1番最初の取組だったので緊張した。令和初というのは自分では気付かず、部屋の兄弟子から言われて気付いた」と笑顔。令和をどんな時代にしたいか問われると「人々が幸せになるような時代になれば」と、個人的なことよりも先に、広い視野に立って話していた。

山口県岩国市出身で、高水高時代は野球部で投手と一塁手を務め、柔道部にも所属した。岩国市は師匠の芝田山親方(元横綱大乃国)の、さらに師匠である故人の元放駒親方(元大関魁傑)と同郷。小学校時代に野球を指導してもらっていたのは、元放駒親方の親戚だったという。また、相撲界の昭和最後の白星は、芝田山親方が現役時代に、元横綱千代の富士の連勝を「53」で止めた88年九州場所千秋楽の結びの一番。そんな縁もあるが「知らなかったです。今、知りました」と、入門前まで相撲経験のなかった平成12年生まれは、少し申し訳なさそうな表情で話した。

179センチ、140キロ余りの体格で、得意は右四つ。今場所の目標は勝ち越しで、将来的には「5年以内に関取になりたい」と、力を込めながら目を輝かせていた。