大相撲の元関脇で西十両11枚目の安美錦(40=伊勢ケ浜)が、現役引退した。度重なるケガを乗り越え、関取在位117場所は歴代1位タイ。元担当記者が、記録にも記憶にも残る名力士について振り返った。

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「変わろうと思えば、人は変われるよ」

言われたのは、2015年(平27)の秋巡業中だった。その後に続いた言葉を、今でも覚えている。

「生まれ変わるのは、生きているうちにしないとね」

安美錦。もともと発する言葉に味がある人だった。自然と笑いがこぼれるようなコメントが多かった。ただ、あのときは目からうろこが落ちるような、心にずしりと響く文言だった。

初めて相撲を担当した03年。当時の安美錦の印象は「小兵力士」だった。それなりに背は高かったが体は細く、取り口も正攻法というより、押し込まれてから土俵際でひらりと体を翻すような受け身の相撲。その姿から、まるで小兵力士のような印象が残っていた。

9年ぶりに担当に戻った2013年(平25)。久しぶりに間近で見てまず、その体に驚いた。体は一回りどころか、二回りも大きくなっている。取り口も、正面からぶつかって前に出る。そのまま押し込む相撲がたびたびあった。

その変化の理由を、秋巡業の最中に尋ねた。

「昔は押し込まれてからの相撲だったけど、膝をけがしてから、前に出ようという意識が出てきたね」。

2004年(平16)名古屋場所で、右膝前十字靱帯(じんたい)と外側半月板を損傷した。古傷としてここから一生、付き合うことになる膝のけがの始まりだった。と同時に「新しい安美錦」の始まりにもなった。

「リハビリをしながらトレーニングもしていたけど、トレーニングや運動量よりも摂取量が上回ったんじゃない? うまいこと(体が)大きくなった」。

体重が増えた。筋肉もついた。真っ向勝負で、正面から互角以上に立ち合える力が加わった。それでいて力まず、ひょうひょうと体を翻して、軽やかに土俵の中で立ち回るのはこれまで通り。対戦相手にしてみれば、何をしてくるか分からないから手に負えなくなった。見る者にとっても、勝負がどう転ぶか分からない期待とも怖さとも言える感情が芽生えた。

「体重が増えてからやりたいことができるようになった。当たって押すことで幅が広がったね。その後の流れが生きる。体に負担もかからずにね」。

計45手の決まり手は、こうして積み重ねられていった。

よく「膝のけがさえなければ大関になっていた」と言われもした。だが、膝のけががなければ「小兵」の印象のままで終わっていたかもしれない。本人の言葉を借りれば、けががあったから、魁皇に並ぶ歴代1位の関取在位117場所目にまでたどりついたとも言える。

いや、けががあったから、ではない。けがをしてもあきらめず懸命に生まれ変わろうとした、その姿があったからに違いない。

生まれ変わるのは、死んでからではない。生きているうちに-。安美錦が教えてくれたことだった。【元相撲担当=今村健人】